社内ニートが巡る全国旅日記

今にも会社クビになりそうな超ド底辺社畜ニートがいろんなとこ巡ってます

長崎市民から「あか寺」として愛されている「興福寺」へ参ってみたっぺ(^▽^)/

長崎市内の寺町通りにある「興福寺」に行ってきた。長崎には「長崎三福寺』」と言われてる寺院(唐寺)があり興福寺はその中でも特に有名な寺らしいんだよ

 

【山門】

すげぇぇえでかい山門、寺町通りには数多くの寺が並んでいるがこの寺のラスボス感はハンパないんだよ。ちなみにこの山門は長崎でいちばん大きく承応3年(1654)隠元和尚の長崎滞在中に集められた莫大なお布施で建てられたそうだよ

 

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現在の山門は、元禄3年(1690)に再建された。なお原爆でもかなりの損傷をおったが修復され現在に至る

 

興福寺とは】

  • 長崎の寺社の中でも指折りの由緒と格を誇る
  • 興福寺の創建は1620年(元和6年)
  • 中国のお坊様・真円によって開設
  • 崇福寺・福済寺と併せて、『長崎三福寺』を形成
  • 朱色の山門により地元の人からは「あか寺」とも呼ばれている
  • この寺の建立目的は当時長崎に居留していた唐人海上の安全祈願と故人の冥福を祈るため
  • 当時の日本に来る中国人の中にはキリスト教徒がおりその証明をおこなうため
  • 第2代住職の黙子如定は眼鏡橋を架設したことで有名
  • 第3代の逸然は長崎漢画の祖として有名
  • なお逸然は当時中国でも高僧の評判が高かった隠元を招くことに成功
  • 全国から多くの僧がここへ教えを受けに来た
  • この寺の歴史でいちばん有名なのが隠元和尚、「インゲン豆」の語源となった
  • 1663年の長崎大火で興福寺は全焼した
  • 境内には多数の国指定重要文化財がある
  • 現在の松尾法道住職まで、現在32代でこの寺を継いでいる

 

何を隠そうこの寺はインゲン豆と木魚で有名な隠元和尚と深く由来のあるお寺なのだ。

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山門の前のネコちゃん

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訪問した時間は私の他にボッチ旅行客1名、この外国人と一緒に境内をまわることになるのだよ。ちなみにあとで撮った写真をチェックするとほとんど全部こいつが写ってるんだよ( ノД`)シクシク… ブログに掲載されてる写真はできるだけこいつが写ってないのを選んで載せています

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入場料は300円、ここはほかの施設みたいに手の消毒もうるさくなく来場者カードを書かされることもなかったよ 

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大雄宝殿(だいゆうほうでん/本堂) 

国指定重要文化財

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  • お釈迦様(大雄)を本尊として祀っている
  • 現存する長崎の4つの唐寺では全て本堂を大雄宝殿という
  • 三官 大帝の神像は唐からもたらされたもので生き身として深く信仰されている
  • 御神体の 中から雄鶏の足音が聞こえると言い伝えられている。
  • この建物は寛永9年(1632)第2代住職・黙子如定禅師が建立した
  • 大火や暴風で大破したため再建を繰り返した
  • 現在の建物は明治16年(1865)に再建したもの
  • 昭和16年に改修工事を行った直後に原爆の爆風を受け背後の山に向かって倒れかかる格好となったため、立て起こしのみを行ない現在に至っている
  • 明治時代の建造物でありながら戦前は国宝に指定されていた

 

ちなみに本堂前の庭はかなり広く、大雄宝殿の中でもコンサートや各種イベントもおこなわれているらしいよ、特に大雄宝殿の内部は二層吹き抜けの大空間のためとても音響効果が良いらしい。

 

宗教施設なんだか本殿の中のイベントはやばいっしょw

 

 

 

 


媽姐(祖)堂(まそどう) 

県指定有形文化財

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  • 航海の神、媽祖様が祀られている。
  • 媽祖信仰は中国宋代に福建省に起こった土俗的信仰。
  • 元の時代には江南から北京へ糧米を運ぶ全ての船舶に祀られていた
  • 長崎へ来航する唐船にも必ず「媽祖」が祀られ、停泊中は船から揚げて唐寺の媽祖堂に安置した。
  • これを「菩薩(ぼさ)揚げ」という
  • 賑やかに隊列を組んで納めたそう

 

 


鐘鼓楼(しょうころう) 

県指定有形文化財

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  • 寛文3年(1663)の市中大火のあと元禄4年(1691)に五代悦峰禅師が再興した
  • 日本人棟梁により享保15年(1730)重修、
  • その後もたびたび修理が加えられた興福寺の鐘鼓楼。
  • 現在ここには、原爆で吹き飛ばされた瓦などが保管展示されている。
  • 梵鐘は戦時中に供出され現在興福寺梵鐘はない。

 

 

 

三江会所門(さんこうかいしょもん) 

県指定有形文化財

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  • 三江とは揚子江下流地方の江南、浙江、江西のこと
  • かつての興福寺はこの地方出身者にとって、菩提寺
  • 原爆により大破し門だけが遺存している。

 

すげぇ年期のはいった火災報知器、本当に稼働するんかなぁ

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「豚返しの敷居」ってのがあって、これは豚が門の中に入ってこないようにするため敷居がたかくなってるそうだよ、こんな低い敷居なんて豚楽勝で入ってこれるでしょw

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旧唐人屋敷門(きゅうとうじんやしきもん) 

国指定重要文化財長崎市所有)

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  • 当時市内に散宿していた唐船主以下の中国人は、民宿を禁じられていた
  • 全員、十善寺郷(現在の館内町)の唐人屋敷に収容された。
  • 日本人で唐人屋敷に出入りを許されていたのは遊女と僧侶だけだった
  • 現在は問だけが残されている

 

 

中島聖堂遺構大学門(なかしませいどういこうだいがくもん) 

県指定有形文化財長崎市所有)

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  • 東京の湯島聖堂佐賀県の多久聖堂と共に日本三聖堂のひとつ
  • 当時は儒学の学問所で当初立山書院と称した
  • 徳元年(1711) 中島川河畔に移転し再興。その後は中島聖堂と呼ばれた

 

 

 


魚板(鰍魚)(ぎょばん/けつぎょ)

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  • 中国の代表的な魚である鰍魚(けつぎょ)
  • お坊さん達に飯時を告げるために叩いた木彫の魚
  • 興福寺のこの魚板は日本一美しいと定評がある
  • 口にふくむ玉は欲望。これを叩くことによって、欲望を吐き出させるという意味
  • 木魚の原型ともいわれている
  • 現在は老朽化のため叩かれていない

 

ここで抹茶をいただくことができる、内部には檀家さんと寺の所有書5000冊を集めた図書室もあるらしい

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奥に犬がおったよ。目があって吠えられそうになった

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この寺は長崎市内の寺町通り沿いにある、この寺よりも実は周囲に立ち並んでいる寺に疑問。この通りはそんなに多くないのになぜかここの道路沿いにだけ


2社14寺がほぼ一列にが立ち並ぶ( ゚Д゚)

 

なぜこれだけ多くの寺がほぼ一列に並んでいるのか? この通りを訪れた人はかならず疑問に思うことだと思う。由来を知ってる人だれかいませんか?