キリシタン井戸のある「本蓮寺」へ行ってきたっぺ(*^-^*)
長崎市内の「本蓮寺」という仏教寺院に行ってきた。やはり長崎はキリスト教の文化が昔から根付いていて禁教下での半ば強引ともいえる棄教や改宗があったもののやはり仏教寺院はキリスト教会や唐寺と比べて肩身の狭い思いをしていたのだ
西坂教会から歩いて15分くらいのところにこの本蓮寺はあるんだよ
入り口はこんな感じ、なんか長崎市内のマンションやビルの立ち並ぶ中にある
【本蓮寺について】
- 元はこの地にサン・ジョアン・バウチスタ教会とサン・ラザロ病院があった。この病院は日本で最初のハンセン病の病院だった
- サン・ジョアン・バウチスタ教会は被昇天のマリア教会、トードス・オス・サントス教会とともに長崎の三大教会といわれていた
- 豊臣秀吉の出した教会破壊令と後の家康の禁教令によって教会はすべて取り壊された
- 1620年(元和6) 大村本教寺住職の日恵が開山
- 幕末期に4年間滞在し勝海舟が航海術を学んだ場所
- 1945年(昭和20) 原爆投下により焼失するが、昭和29年に本堂が再建される
寺の入口ににサン・ジョアン・バウチスタ教会とサン・ラザロ病院の碑がある
二天門跡、昔はここに二天門というでかい山門があったんだけど原爆の爆風で焼失してしまった
信徒会館、近代的な建物だった
【勝海舟由来の地】
中学や高校で歴史の授業をまじめに聞いていたら(いなくても)勝海舟の名前はだれでも知っていると思う。勝は長崎の海軍伝習所で航海術を5年ほど学んでおりここ本蓮寺に宿泊していた。
当時、勝の下駄の鼻緒を直してくれたお久と恋仲になり一男一女をもうけるのであったが...
勝海舟にはすでに妻子がいたw
今でいう○倫の末の出産ということだよ(;^_^A しかもこのお久という女性は当時
14歳で未亡人だった( ゚Д゚)
今だったら確実に逮捕もんだよ。当時はそんなに珍しいことじゃなかったみたい。また勝はその後各地で5人の妾と二男三女の5人の子供を作ったww
今でいえば「すさまじいまでのクズっぷり」であるが、正妻の民子は実子を含め9人の子供たちの面倒を見たそうだよ。勝は1899年(明治32)に75年の生涯を閉じる、妻の民子はその6年後に逝去するが彼女の最後の遺言は..
「頼むから勝のそばに埋めてくれるな.....」www
この寺にはまた「南蛮井戸」と呼ばれるキリスト教会時代に掘られた井戸が残っている。寺は当時海に面していたため海に出るための抜け穴だったという説も残っている
この井戸への道は通常門が閉められているので見たい方は事前にお寺に予約しておこう