長崎中華街のとなりにある「唐人屋敷跡」訪問記
長崎市新地から歩いてすぐのところにある唐人屋敷跡に行ってきた。唐人屋敷跡といってももはや当時の面影を残すものはほとんどなく、修復された遺構が数か所存在するだけの場所である
【唐人屋敷跡とは】
- 幕府が作った日本にやってきた唐人たちを収容する施設
- 禁教下ではキリスト教徒ではない中国人は長崎市内自由に住むことが可能だった
- 中国人による密貿易が増加するに従い長崎奉行所では中国人の居住地区も制限せざるを得なくなった
- 唐人屋敷の建設費は幕府から借金することで賄われた
- 当時の居留地域は約9,400坪で、2,000人程度の収容能力があった
- 1784年の長崎大火により唐人屋敷はほぼ全焼、以後唐人自ら住居などを建築することが認められた
- 中国人はとなりの現長崎市新地町に中華街を形成し現在の長崎新地中華街となる
- 1859年の開国によって唐人屋敷は廃屋化、1870年に焼失
- 現在は四堂のみが修復改築されている
- 日本人で唐人屋敷に出入りを許されていたのは遊女と僧侶だけだった
ではこの唐人屋敷跡に散在する4つの祠に行ってみよう。これらは互いに近くにあるので全部徒歩でまわることができるのだ
こんな細い道を歩いていく
【土神堂(どじんどう)】
唐人屋敷の中でもっとも古いお堂、中国では土地や家の守護神とされ豊作の恵みをもたらしてくれる「福徳正神」と呼ばれる神さまを祭っているところ。この土神堂は1691年に唐人の船主たちによって建立された。現在の建物は1977年に復元されたもの
土神堂(どじんどう)の内部
【福建会館】
名前のとおり福建省出身の唐人が建てた会館で特に長崎市の福建会館は1868年に「はちびん会館」として創建された。その後1897年に福建会館に改名、原爆によって今残っている建物は正門と天后堂だけ。天后堂は2018年に再建された
媽祖(まそ)、ランタン祭りの時にはこの媽祖神を興福寺まで運ぶ
【天后堂】
航海安全を守る女神、天后聖母(媽祖)が祀られている。当時の唐船には天后聖母を祀っており日本に着いたら唐人屋敷の天后堂へ運んでいた。長崎ランタンフェスティバルでは「媽祖行列」といわれるパレードでこの様子を再現している。
この建物は1736年に南京出身の中国人によって建てられ、その後1906年に全国の華僑の寄付によって再建築
これが「天后堂」なのか、もはやNHKの人形劇に出てくるキャラやん
またここには関帝も祀られており別名「関帝堂」とも呼ばれているのだ
【観音堂】
福建出身の唐船主らにより建てられたお堂で堂内には千手観音菩薩と商売繁盛の神さまといわれている関帝が祀られている。現在のお堂は1917年(大正6年)に改築されたもの
以上唐人屋敷跡にある4つのお堂を紹介してきたが、中国の旧正月(春節)におこなわれる有名な「ランタンフェスティバル」のときには、土神堂、天后堂、観音堂、福建会館の4か所を赤いろうそくを供えながら歩く「四堂巡り」がおこなわれている
もはやランタンフェスティバルのためにあるといってもいいくらいの唐人屋敷跡であるが全部まわっても1時間で終わるので散歩がてら巡ってみるのもいいかも