半農半士の暮らしとは?知覧武家屋敷に息づく薩摩藩「外城制度」の秘密
鹿児島県の知覧武家屋敷にやってきた。知覧武家屋敷へのアクセスは、鹿児島市内から自家用車かバスのみ。鉄道がないため、特に観光には自由度の高い車を強く推奨する。名勝の庭園群を効率的に巡るために、移動手段の計画は必須だ。


国指定名勝の知覧武家屋敷群は、石垣と生垣が続く約700mの通りを散策する。歴史的な街並みは当時の薩摩の雰囲気を肌で感じさせ、武士の暮らしと文化に想いを馳せる貴重な体験となる。

知覧武家屋敷の庭園は有料だが、見学ルート沿いには美味しい十割蕎麦の店がある。歴史的な街並みと共に、薩摩の食文化も楽しめる。事前に料金と食事処をチェックし、効率よく散策せよ。

知覧武家屋敷群は、子孫が現在も住み続け、住民による組合で景観が維持されている。美しい石垣と植栽の通りを歩くことで、当時の雰囲気をそのまま体験できる貴重な場所だ。

知覧武家屋敷群は、島津久達から島津久峯の時代にかけて整備された、数百年の歴史を持つ場所だ。通り沿いに続く玉石垣は風雪に耐え、当時の薩摩の歴史を今に伝える貴重な遺産となっている。

知覧武家屋敷は、屋敷内には入れず、庭園と街並みを散策するスタイルだ。入場料はかかるが、住民によって守られた静謐な通りを歩くこと自体が、数百年前の薩摩の雰囲気に浸れる貴重な体験となる。美しい庭園と歴史的な景観を楽しむべし。

知覧武家屋敷群は、今も住民が暮らしている私有地のため、立ち入り制限区域に注意が必要だ。この歴史的な街並みは、大河ドラマ『西郷どん』のロケ地にも使用された


知覧武家屋敷の庭園は、「母ヶ岳」を借景として取り入れた、静かで奥行きのある造りだ。華やかさより素朴で奥深い美しさが特徴で、薩摩武士の質実剛健な精神と洗練された文化を感じられる

知覧武家屋敷群では、7軒の庭園が国の名勝に指定されており、これらに加えて旧高城家住宅も公開されている。各庭園には詳細な案内板が設置されているため、それぞれの家の歴史を学びながら、じっくりと時間をかけて散策するのがおすすめだ

庭園と建物が一体となった景色。静かで落ち着いた雰囲気が心地いい


最近の知覧武家屋敷を含む鹿児島県内の観光地では、多言語対応のQRコードを設置し、外国人観光客への情報提供を強化している。訪問の際は、QRコードを活用すれば、詳細な情報を得ながらスムーズに散策できる

この石垣、手作業で積み上げたんだろうな。一つ一つの石に、当時の人々の汗と情熱が詰まってるように感じる。こんな貴重な遺産、大事にしていかなきゃいかんのだよ

知覧武家屋敷の庭園は多様だが、特に平山亮一邸は珍しい。ここでは石を一切使わず、イヌマキやサツキなどの植木を大胆に刈り込む「大刈込み」のみで枯山水庭園が構成されている

特定の期間、武家屋敷の庭園がライトアップされるイベントが開催されることがあるそうだよ。昼間とは異なる幻想的な雰囲気を楽しめそうだ

見事に積み上げられた石垣は、この地域の文化を物語っている。薩摩藩は「一君万民」っていう独自の考え方で、武士の身分を重んじていたらしい。知覧武家屋敷群も、そんな薩摩の文化を今に伝える貴重な場所ってことだ。

知覧の武家屋敷の石垣は、琉球石灰岩が使われているそうなんだよ。薩摩藩が琉球王国と深い関係にあったことを物語っているようだ

知覧の武家屋敷群では、丁字路の突き当たりにこの石敢當が設置されている。これは、魔物や邪気がまっすぐ進んで家の中に入ってくるのを防ぐためのもので、町割り(まちわり)を防御的にするために、わざと道筋を曲げたり、行き止まりを設けたりした武家屋敷ならではの知恵とされているそうなんだよ

この石敢當は、中国で発祥し、日本には主に沖縄県や鹿児島県に多く見られる文化。特に南九州では、知覧だけでなく薩摩半島の各地で見ることができるそうだ。この石敢當は、単なる石の標識ではなく、当時の人々の信仰や生活の知恵、さらには中国や琉球との交流の歴史を物語る貴重な文化財と言える

それにしてもデカい

昔は幼い頃から学問や武術、礼儀作法などを学んだ。特に、薩摩藩では「郷中教育(ごうじゅうきょういく)」という独特な教育制度があり、年齢によって「稚児(ちご)」「二才(にせ)」に分けられ、年長者が年少者を指導するという、自主性を重んじた教育が行われていたそうだよ

知覧は、特攻隊の基地があった場所としても有名だ。武家屋敷群だけじゃなくて、特攻平和会館もぜひ訪れてみてほしい。歴史は、楽しいことばかりじゃないけど、そのすべてを知ることが大事だよな。

南九州のこんな僻地でも最近ではSNSや海外メディアによる情報発信: InstagramやYouTubeなどのSNSを通じて、知覧の美しい武家屋敷や庭園、特攻平和会館の歴史が海外に広く知られるようになって特に東南アジアからの観光客は激増中だそうだよ

武家屋敷の内部は、当時の暮らしを垣間見ることができる。簡素でありながらも、武士の質実剛健な精神が感じられ細部にまでこだわりが詰まっている

大河ドラマの影響もあり、西郷隆盛にまつわる観光地が人気を集めている。知覧もまた、西郷ゆかりの地として注目されており最近では、若い世代の観光客も増えている。たまたまかもしれんけど外国人観光客は皆無だった。

知覧の庭園は、枯山水や借景を巧みに取り入れた芸術作品。この静謐な空間で、当時の武士たちの暮らしや思想に思いを馳せた。手入れの行き届いた庭は、見る者を惹きつけるねぇ

ちなみに知覧の武家屋敷に住んでいたのは、主に「郷士(ごうし)」と呼ばれる身分の人々。郷士とは、薩摩藩独自の制度によって生まれた特殊な身分で、一般の農民や町人とは異なり、武士の身分を保持しながら、農村地域に住んで自らも農業に従事していた人々

武家屋敷群は石畳が多く、ヒールの靴は歩きにくいので注意が必要。スニーカーや歩きやすい靴で訪れることをおすすめ。また、南九州は日差しが強いので帽子や日傘も必須

「佐多民子邸」他の庭園に比べて、巨石や奇岩をふんだんに使用しているのが最大の特徴庭園の奥には、巨石を積み重ねて「枯滝(かれたき)」を表現しており、まるで山水画のような雄大で力強い景色を作り出している

庭園にある平らな「切石(きりいし)」の上に、梅の古木を乗せて盆栽として楽しんでいたと伝えられている。これは、琉球(現在の沖縄)の庭園に見られる手法で、当時の薩摩藩と琉球との文化交流の深さを物語っている

そもそも知覧の武家屋敷群は、江戸時代に薩摩藩が設けた「外城(とじょう)」という軍事・行政拠点の一部として作られた。これは単なる住居群ではなく、有事の際に領民を統制し、外部からの攻撃に備えるための機能を持っていた

道の先に見える景色も風情がある。昔ながらの街並みに、現代の自動販売機が置いてあるのを見つけるのも面白い。過去と現在が共存している、この街ならではの光景だ。
道路は意図的に丁字路やクランクが多く、見通しが悪くなっている。これは敵が侵入した際に、まっすぐ進むのを妨害し、道に迷わせるためのもの

昔6年間鹿児島に住んでいたがいちども来ることができなかった知覧の武家屋敷ついに制覇しました。歴史ある薩摩の武家文化と美しい庭園が同時に楽しめる、鹿児島観光で必見のスポットだ。時間をかけてじっくりと、その重厚な歴史と静謐な雰囲気を体感できて本当に良かった。
【九州の小京都】鉄壁の守り!14代続いた伊東氏の誇り「飫肥城」を歩く
宮崎県日南市にある飫肥城にやってまいりました
ここは、天正16年(1588年)から明治初期までの約280年間にわたり、飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町として栄えた歴史深い場所。街全体が歴史の息吹を感じさせる「九州の小京都」と呼ばれるこの地での体験をご紹介したい

飫肥城はNHK連続テレビ小説『わかば』のロケ地にもなった。ドラマのファンなら、一度は訪れたい

「ドドーンドーン」という景気の良い太鼓の音が響いてきた。音のする方へ行ってみると、四半的(しはんまと)という弓術の体験ができる場所。料金は8本で450円と手軽である

この四半的は一般的な弓道とは少し異なる。名前の由来は、四間半(約8.2m)の距離、四尺半(約1.36m)の矢の長さ、四寸半(約13.6cm)の的の大きさという「四半」がつく寸法から来ているそうだ
座って矢を射るスタイルで指導員の方が非常に丁寧に指導してくれるため、初心者でも安全に楽しむことがでる。

的の真ん中に見事的中させると、「ドドーン」という太鼓の音とともに、記念品がもらえる仕組みになっているのだよ

飫肥城下町『食べあるき・町あるき』のイメージキャラクターあゆみちゃん

若い女子グループ発見!私の悪癖なんだけど若い女子グループを見つけるとコバンザメのようについて行ってしまうことなんだよ

今日は平日だったので観光客はまばらだった飫肥城周辺の観光客数は年間を通じた観光客数は約20万人だそうだよ

飫肥の名物といえば「おび天」である。これは単なる揚げ物ではなく江戸時代から数百年間にわたり受け継がれてきた、飫肥を代表する名物
その独特な美味しさの秘密は、贅沢な素材と製法にある。
素材: 日南海岸で水揚げされた新鮮な魚のすり身を使用。
製法: 手作りの豆腐と黒砂糖、味噌に秘伝のだしを合わせ、油で揚げる。
これにより一般的な薩摩揚げとは違うほんのり甘くふっくらとした独特の風味を持つ天ぷらが完成する。飫肥を訪れたならこの歴史と風土が育んだ伝統の味をぜひ試すべきである。

飫肥城跡の中心は、昭和53年に復元された立派な大手門。この門をくぐると苔むした石垣や石段が、当時の力強い藩の姿を物語っている。
敷地内には、以下の重要な見どころが点在している

飫肥城の歴史は、藤原氏南家の流れを汲む伊東家の歴史と深く結びついている。
伊東氏が正式に飫肥城を治めることになったのは初代藩主である伊東祐兵(いとうすけたけ)が豊臣秀吉から城を与えられた天正15年(1587年)以降のことだ。
それから明治4年の廃藩に至るまで、実に約280年間にわたり、14代にわたって伊東氏がこの飫肥藩を治め続けた。この城が持つ重厚な雰囲気は、数百年に及ぶ伊東家の支配の歴史が生み出したものである。

この城の堀の特徴に「空堀(からぼり)」という水を入れない堀がある。敵の侵入を防ぐための仕掛けがあちこちに張り巡らされている。

伊東氏のルーツは平安時代の藤原氏。しかし、家督争いのドロドロ劇が幕を開ける
曾我兄弟の仇討ち…実はこの一族の内輪揉めが発端だった。父の敵を討つため、兄弟は命を賭けて工藤祐経を討つ。その結果、本家は血塗られた歴史を背負い、日向へと向かう運命に。一族の歴史は、すでに争いの予感に満ちていた。

城内を進むと、ゴツゴツとした力強い石垣が目を引く。この石垣は、単に壁ではなく敵の侵入を防ぐための高度な防御構造「桝形虎口(ますがたこぐち)」の一部
桝形虎口とは、敵がまっすぐ城内へ進めないよう、門を入った後に意図的に直角に曲がる構造にすることだ。まるでゲームのダンジョンのように、敵の動きを封じる工夫がされている
さらにこの石垣自体にも技術が凝らされている。よく見ると、石の長辺と短辺を交互に重ねて積む「算木積み(さんぎづみ)」という技法が使われている。これは石垣の強度を最大限に高めるための、当時の職人の知恵だ。地震が多いこの地で、何度も補修されたという歴史が、この石垣を一層力強く見せているのである。

先の記事で触れた石垣に使われている石は「飫肥石(おびいし)」という地元の石材である。白っぽい色合いと、独特の肌触りが特徴的なこの石は、まさに飫肥の自然が育んだ特別な石だ

飫肥城の設計は南九州特有の「群郭式縄張(ぐんかくしきなわばり)」という珍しい形式をとっている。
これは、複数の曲輪(くるわ、城の区画)が独立した形で配置される構造のことでこの設計の利点は、たとえ一つの曲輪が敵に奪われたとしても残りの曲輪で戦いを継続できる点にある。飫肥城はあたかもいくつもの要塞が組み合わさった巨大な要塞のような機能を持っていた。この縄張からは、伊東氏の徹底した防御への意識が感じられる。

南九州といえば真っ先に思いつくのは薩摩の島津である。関ヶ原の有名な「島津の退き口」や朝鮮出兵時の「鬼島津」という言葉は誰でも知っていると思う
島津の影に隠れたこの伊東氏の歴史は下記のとおり
【第一幕】南九州を制す!強き当主の登場
南北朝の動乱に乗じ伊東氏は日向で勢力を拡大。特に、中興の祖・伊東祐堯は、島津氏の内紛を巧みに利用し、領内を統一。ついに念願の穆佐城を奪還し、日向国の支配者として君臨する。まるで弱肉強食の戦国乱世を生き抜く傑物!しかし、その強さの裏にはさらなる血で血を洗う争いが待っていた。

【第二幕】栄華を極める「日向の麒麟児」
伊東義祐が当主となり伊東氏はその勢力を頂点に。飫肥城を陥落させ大隅国の肝付氏と同盟を結ぶ。彼の領地は日向一国をほぼ統一する勢いでその威勢は「伊東三位入道」と畏れられた。だが、慢心か、油断か…。この栄華が、後の悲劇を招くことになる。

【第三幕】悪夢の「木崎原」!全てを失う敗北
好機と見た伊東義祐は、島津氏の領地に侵攻。総大将に伊東祐安を据え、3,000の大軍でわずか300の島津軍に攻めかかる。相手は若き島津義弘。誰もが伊東軍の圧勝を疑わなかった。しかし、その結果は…まさかの大惨敗。伊東氏の有力武将の多くが討ち死にし、この敗戦を機に家臣の離反が相次ぎ、一族はすべてを失い日向を追われることとなる
ちなみに飫肥を語る上で欠かせないのが「飫肥杉」だ。この地域特有の温暖な気候と豊かな土壌で育まれた質の高い杉である。
これは遠い昔の話だが、この飫肥という地は私の花粉症が初めて爆発するきっかけとなった場所なのだ。その強烈なデビュー戦の相手がまさにこの有名な飫肥杉だったというわけだ

【最終幕】流浪の末路、そして…
故郷を追われた伊東義祐は、大友宗麟を頼るも、耳川の戦いでも再び敗北。度重なる不幸に、かつての威勢は見る影もない。彼は豊後をさまよい、やがて摂津国で倒れ、孤独にその生涯を閉じた。日向に一大勢力を築いた名家は、ここに滅亡したのだった

飫肥城の歴史資料館の下には、見逃せないパワースポットがある。それは四隅に一本ずつ立っている四本の杉だ。
この杉は「四本の杉が合わさる=しあわせ」という語呂合わせから、「しあわせ杉」と呼ばれている。
特に恋愛成就や願い事が叶う場所として若い観光客に大人気らしい。この四本の杉の真ん中に立って写真を撮ると、幸せのお守りになると言われているのでぜひ訪れた際にはこのスポットで幸せを分け合ってみると良いだろう


実はこの小学校の前身はかつて飫肥藩の藩校「振徳堂(しんとくどう)」であった。明治時代の偉大な外交官である小村寿太郎もここで学んでいる

飫肥城跡にある飫肥城歴史資料館は、リニューアルオープンしたばかりだ
館内には、伊東氏や家臣である山田匡得(やまだまさなり)の甲冑や刀剣がずらりと並んでおり、戦国時代の熱気がリアルに伝わってくる。
さらに、この資料館の魅力は、プロジェクションマッピングやCG映像といった最新技術が導入されている

飫肥城では、過去の工事中に興味深い発見があった
城門に使われている礎石の一つに、「正徳三年(1713年)」と刻まれた碑文が発見されたのだ。これは、江戸時代中期にあたる当時の歴史を証明する貴重な資料である。
この碑文が刻まれた礎石は現在、城門内に大切に保存されている。足元の石にも数百年を経た飫肥城の歴史が刻み込まれている


以上ほぼ20年以上ぶりの訪問で実質初めて感あったけどよかった
「時が止まった一瞬」わずか一日で鳥居を飲み込んだ桜島の”神威”に震撼!埋没鳥居に行ってきたっペ
大正3年1月12日、この日は鹿児島の人たちにとって、忘れられない一日になった。それまで静かに見守ってくれていた桜島が突然、ものすごい勢いで噴火を始めた

この鳥居の近くには広い駐車場があって多機能トイレも完備されている。
鳥居の見学自体は無料ですが、実は近くに有料駐車場があり、まんまとそこに誘導されてしまう可能性があります。昔は「1回100円」の有料駐車場に思わず停めてしまいました...。
無料で見学したい方は、この有料駐車場には停めず、少し先の黒神中学校の手前まで進んでください。このエリアには、無料で利用できる駐車場(空き地)が用意されている。
まあたった100円ではありますが、知っているか知らないかで気持ちよさが違います。このプチ情報で、皆さんの埋没鳥居観光がよりスムーズで快適になりますように


噴火の前日には、実はたくさんの異変があったみたらしいよ。一日中地震が頻繁に起こったり、地面が鳴ったり。井戸から熱水が湧き出したり...
そしてついに桜島の西側で最初の噴火が起きた。そのわずか10分後には東側の鍋山からも火を噴いて、二つの噴火口から大量の溶岩が流れ出した。あっという間に周りが溶岩に埋め尽くされていった
噴火は中腹から始まって、大量の火山灰や軽石が空高く舞い上がった。その高さ、なんと18,000メートル以上!飛行機が飛ぶはるか上空まで、灰が上がっていった。
はるかカムチャッカ半島まで火山灰が飛んでいった(・・;)

鳥居の周りには、噴火当時の様子や資料を展示しているスペースもある。文章や写真で、当時の緊迫した状況を詳しく知ることができるから、鳥居を見る前に立ち寄るのがおすすめだよ

この鳥居は、斜長流紋岩っていう岩の柱でできている。噴火の熱や衝撃にも負けずに残った、とても強い岩なんだろう。鳥居自体が、噴火の強さを物語っているみたい
鳥居が埋まった当時、もともとの高さは3メートルもあった。それがたった一日で人の背丈より低くなってしまったんだから、その噴火のすさまじさが身に染みてわかる。

当時の村の人たちは、神聖な鳥居をこのままにしておけないと、みんなで掘り起こそうとしたらしいんだけど当時の村長さんだった野添八百蔵さんという方が、このまま残す決断を下した
黒神地区は噴火口のすぐそばだったから、もう大変なことになった。大量の軽石や火山灰が雨のように降り注いで、多いところでは5メートルも積もったらしい。この鳥居も、たった一日で、その灰に埋もれてしまったんだよ。


この鳥居の神額には『腹五社大口福』という文字が刻まれていたらしいけど、今は欠けてしまっていて、辛うじて『腹』と『五』の文字が確認できるくらい。風化が進んでいるのを見ると、時の流れを感じずにはいられないね


鳥居の先に伸びる参道は、今では中学校の敷地内を通るような形になっている。昔はここが神社の入口だったんだな、と思うと不思議な感じ。日常と非日常が隣り合わせにあ。
大正大噴火の溶岩流が固まってできた土地には、20年ほどでクロマツが生え始め、その後も少しずつ植物が定着していった。今では照葉樹もたくさん育っている

鹿児島・桜島の黒神埋没鳥居は、大正の大噴火で埋まった歴史的な場所ですが、実は一部で心霊スポットとして囁かれているのをご存知でしょうか?
夜間や人気のない時間帯には、「少女の霊が出現する」「誰もいないのに声が聞こえる」「謎の奇声が木霊する」といった怖い話がまことしやかに語られている。

噴火の後の復興はそれはもう大変だったらしい。厚く積もった火山灰を取り除いたり、用水路を復旧させたり。特に「天地返し」っていう、火山灰を掘って元の土を出す作業は本当に骨が折れただろうなって思う。

鳥居の奥に進むと、実は神社の社殿もある昔は這いつくばってやっと中に入れるくらい、軽石が天井まで積もっていたらしい。今はきれいに整備されているけどね

噴火後、住民たちは一時的に避難生活を送ることになった。県は北海道や台湾、朝鮮まで移住先を探したらしい。最終的に、噴火前の約3分の2の島民が故郷を離れることになったそうだよ

それにしても大正大噴火は、20世紀以降の日本の火山噴火の中で、噴出物の量が最大でこの噴火で桜島は大隅半島と陸続きになった。

この鳥居を見る前と見た後では、桜島への印象がガラッと変わった気がする。ただの活火山じゃなくて、そこには多くの人の歴史と、自然の脅威、そして生きるための知恵が詰まっているんだ。本当に来てよかったよ

この鳥居の存在は、未来の私たちに『自然を甘く見てはいけない』という警告を与え続けている。でも同時に、『自然の脅威に立ち向かい、記憶を後世に伝えよう』とした、人々の強い意志を教えてくれている。忘れられない経験になった。
またいつか来よう桜島と埋没鳥居
洞窟に秘められた最強パワースポット! 鵜戸神宮で「玉の輿」ならぬ「運の玉」を投げる
日南市の鵜戸神宮に行ってきた。ここも小学生に親につれてこられて何十年かぶりの場所だよ。もはや初来訪と言っていいくらい
鵜戸神宮の駐車場に到着した。広くて停めやすいけど、実はこの駐車場、本殿に一番近い「第一駐車場」。混雑することが多いから、もし満車だったら少し離れた第二駐車場もチェック


階段の途中に「落石注意」の看板が、この岩肌こそ、断崖絶壁にある鵜戸神宮のダイナミックさを物語っている。自然と共存する神聖な場所なんだなと改めて感じた。

このおばちゃんがなかなか階段登れないw
無事にたどり着けるのだろうか

このようなトンネルを抜けていくのだよ


トンネルを抜けると平坦な道にホッと一息。周りには趣のあるお土産屋さんがちらほら見え始めて、一気に観光地らしい雰囲気になってきた。ここからはゆっくり景色を楽しみながら歩いていけそうだよ。

お土産屋さんや食事処が並び始めて、にぎやかになってきた。

神宮の近くには、お食事処やカフェもいくつかあった。お土産屋さんで、宮崎名物のマンゴーや地元の名産品を買うのも楽しいよね。旅の最後に、美味しいものを買って帰るのもいい思い出になる。

「鵜戸へようこそ!」の看板に描かれたうさぎも可愛らしい。神様のお使いとして、撫でるとご利益がある「撫でうさぎ」も境内にいるらしいから、見つけたらたくさん撫でてパワーをもらいたい。

縁日の屋台も出てて、まるで地元のお祭りに来たみたいだった

「10円パン」の看板を発見、最近流行ってるやつだよ。鵜戸神宮でも食べられるなんて知らなかった。

いよいよ神門に到着!朱色が鮮やかで、周りの緑とのコントラストが本当に美しい。この門をくぐると、いよいよ神聖な空間に入っていくんだなって、気が引き締まる思いだったよ。

朱色の門をくぐると、長い参道が続いていた。この道は、かつて花嫁さんが馬に乗って参拝する「シャンシャン馬」の風習があった場所。歴史を感じるロマンチックな道

参道の途中には、青い海が遠くに見え隠れする。岩場に打ち付ける波の音も聞こえてきて、海風を感じながら歩くのがすごく気持ちよかった。この景色も、鵜戸神宮の大きな魅力だよ

ご由緒を調べてみると、鵜戸神宮の歴史は古く、782年に仏教のお寺が建てられたのが始まり。仏教と神道が融合した「神仏習合」の歴史も感じられる場所。
明治時代には、神仏分離令によって「鵜戸神社」となり、後に「鵜戸神宮」に昇格したそうだよ。歴史の大きな流れの中で姿を変えてきた。



巫女さんキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

鵜戸神宮は愛と別れの物語!「山幸彦と豊玉姫」の神話の舞台
兄から釣り針をなくした山幸彦は、海の神の宮殿へ。そこで出会った海の神の娘、豊玉姫と恋に落ちます。二人は結婚し、3年を海の宮で過ごす。
出産のため地上に戻った豊玉姫は、山幸彦に「私が子どもを産む姿を絶対に見ないで」と約束させる。
裏切りと悲しい別れ
しかし、山幸彦は約束を破り、出産をのぞき見てしまいます。そこにいたのは、妻の姿ではなく、巨大なワニ。
真の姿を見られたことを恥じた豊玉姫は、生まれたばかりの子どもを残し、海の宮へと帰っていった。
ってほぼ雪女のパクリやないかいw

鵜戸神宮のご祭神は、「鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」っていう、聞くだけで舌を噛みそうな長い名前の神様なんだけど、この「鵜(う)」っていうのが、干支の「卯(う)」、つまり「うさぎ」と音が一緒だから。
このウサギとのご縁はめちゃくちゃ古くて、なんと昔々の崇神天皇の時代から、毎月最初の「卯の日」には「縁日祭」っていうお祭りがある。

うさぎに触って、いいこと引き寄せよう!「撫でうさぎ」で開運祈願!
鵜戸神宮でウサギちゃんを見つけたら、絶対やってほしいのが「撫でうさぎ」本殿の奥のほうに、みんなにナデナデされてツルツルになったウサギの像がいるから、すぐわかるはず。
この子を優しくナデナデしながらお願いごとをすると、「病気が治る」とか「運が良くなる」とか、いろんな願い事が叶うって言われてる。

「隠れうさぎ」を探せ!鵜戸神宮を10倍楽しむ方法!
鵜戸神宮はただお参りするだけじゃもったいない。境内のあちこちにこっそり隠れているウサギちゃんを探すゲームも楽しめる。
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参道の階段の横にひっそりいたり
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手を洗う場所で身の清め方を教えてくれたり
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なんと絵馬やお守りにもウサギのイラストが描かれている
おみくじも、ウサギの形をしたものが出てくるかもしれない
鵜戸神宮に行ったときは、ぜひこの「隠れうさぎ」探しに挑戦してみるのもいいかも

この場所が神聖な地とされたのは、神話にも深く関係しているから。主祭神である「鵜草葺不合命」が、お母さんの豊玉姫によって産み落とされた場所が、この洞窟だったと伝えられている。

玉橋を渡ると、岩窟に続く階段がここからがいよいよクライマックス。この急な階段を降りていくと、洞窟の中にある本殿が見えてくる。

神宮の参道は、海沿いの崖に沿って作られているから、高所恐怖症の人は少しドキドキするかも。
本殿までの道のりは、歩きやすい靴で行くのがおすすめ。特に階段が多いから、スニーカーなど歩きやすい格好で来るべし。

階段を降りていくと、波の音が一層大きく聞こえてきた。潮の香りが強くなって、まさに海に抱かれた神社の雰囲気を感じたよ。こんな場所に神社を建てた昔の人々の信仰心の深さに感動するね。

そしてついに、本殿が鎮座する岩窟の前に到着!まさかこんな巨大な洞窟の中に、こんなに立派な建物があるなんて想像を超えるスケールで、ただただ圧倒されるばかりだった。

この洞窟は、日本神話に登場する「豊玉姫命」が産屋を建て、ご祭神である「ウガヤフキアエズ命」を出産した場所なんだって

ご本殿にお参りする際は、「二拝二拍手一拝」の作法

鵜戸神宮は、安産・縁結び・開運など、たくさんのご利益がある
海の神様が祀られているから、漁業や航海の安全を願う人も多いそうだよ。漁師さんや船乗りの方々にとっても大切な場所。

現在の本殿は、江戸時代に飫肥(おび)藩主の伊東氏によって何度も改修や造り替えが行われたもので、その中でも特に、正徳元年(1711年)に改築されたものが、今の本殿の元になっているらしい。
その後も、明治や昭和に大改修が行われていて、常にメンテナンスされているから、今もこんなに美しい姿を保てている。

広島カープが毎年キャンプイン前に訪れるのは、日南海岸の断崖絶壁に建つ「鵜戸神宮」一方、ジャイアンツが優勝祈願に訪れるのは、青島に鎮座する「青島神社」。
鬼の洗濯板と呼ばれる奇岩群に囲まれたこの神社は、縁結びの神様として知られている。
来年はどっちがいい成績おさめるだろうか

本殿のある洞窟は、約1000平方メートルの広さがあるんだそうだよ。自然が作ったとは思えないくらい壮大で、この中に本殿を建てた昔の技術と情熱に改めて驚かされた.
参道を歩いていると、ところどころに奇岩や怪礁が連なっているのが見えて、景色がずっと楽しかったよ。鵜戸神宮一帯は、2017年に「鵜戸」の名で国の名勝にも指定された。

とにかくすげえ人の数だよ
2008年と2009年には、年間100万人を超える観光客が訪れていた時期があった。年間では数十万人から100万人規模の観光客が訪れる、宮崎県内でも有数の人気観光地であることがわかる。

ご本殿のすぐそばには、豊玉姫命が我が子のために乳房をくっつけたという「おちち岩」がある。この岩から滴り落ちる岩清水は、安産や育児にご利益があると言われている。



おちち岩から滴る水で作られた「おちちあめ」という飴も売っている。舐めると母乳の出が良くなると伝えられているみたいだよ。お土産に買ってみるのもいいかもね。

そして、鵜戸神宮といえばやっぱりこれ!海に浮かぶ亀の形をした「霊石亀石」と、そこに運玉を投げる「運玉投げ」みんな真剣な顔で投げていた。
運玉は、本殿の隣にある授与所で買うことができるよ。5個で200円

この亀石のくぼみに、男性は左手、女性は右手で願いを込めて運玉を投げ入れる。これはぜひ挑戦したい!

以前は、人々はこの小石ではなく硬貨を投げていたが禁止された。
その理由は.....
子供たちが下りてってお金を集めようとして危険だったためww

運玉は、丸くこねて軽く焼いた粘土に「運」の文字が押されている。

狙いを定めて、いざ!運玉投げに挑戦!これが意外と難しくて、なかなか入らない

落ちてる運玉の数がすごい。ある意味環境破壊だろう

でも入る確率は、10回に1回だそうです。
けっこう入るやんww

帰りはさすがにキツイ!

鵜戸神宮は、明治時代までは「鵜戸権現」と呼ばれ、仏教と神道が一緒になった「神仏習合」の信仰の中心地だったんだそうだよ。
江戸時代には「西の高野」と呼ばれるほど栄えていて、神門につながる参道には、なんと18ものお寺のお坊さんが住んでいたんだとか。
明治時代の「神仏分離令」で、お寺はなくなってしまったけど、今も境内の近くには、その時代の名残を感じる場所が残っているらしいよ。

今回の旅では見られなかったけど、春の縁日大祭では舞楽「蘭陵王」が奉納されたり、能の演目「鵜羽」が上演されたりするんだそうだよ。いつかお祭りの時期に合わせて来てみたい

人混みゼロ、目の前で大輪!小鹿野の秘祭で味わう小森諏訪神社例大祭奉納花火レポ
今年もやってきました埼玉県小鹿野町の「小森諏訪神社例大祭」本日はあいにくの小雨とかつ高速道路は事故渋滞で到着したときはすでにお目当ての歌舞伎は始まっておったよ

今年はこころなしか観客が少ないような気がする


今年の演目は「鎌倉三代記三浦別れ之場」

内容は
源頼家に仕える三浦之助が、病の母・長門に別れを告げに戻る。
敵方・北条時政の娘で許婚の時姫が長門を看病しており、夫婦の契りを望むが、三浦之助は時政を討つよう難題を突きつける。
時姫が父を討つ覚悟を決めるが、長門は自害して二人を励ます。
三浦之助は戦場へ、時姫は佐々木高綱とともに父の陣所へと、それぞれが死を覚悟して旅立っていく、悲壮な別れの場面

「はるお〜!」と呼ばれている人気の役者さんいつもいい役で盛り上げてくれている。今年も健在だったのでよかった

あっという間に終わってしまった。来年は最初から見れるようにしたい

そして恒例の舞台裏風景、じつは準備中の役者さんたちの表情を見るのがとても楽しい。

この人たちはプロの役者さんたちじゃない、小鹿野の普通のおっさんの表情から役者モードにスイッチが切り替わるとき、そして舞台が終わって役者から普通のおっさんへ雰囲気がもとに戻る...

この瞬間がめちゃくちゃかっこえぇぇ

ちなみに撮影自由

そして始まったで恒例の奉納花火大会。このころになると完全に雨がやんでて助かった

まずはこの舞台に上がって口上が始まる。

口上の内容は以下のとおり
「トザイ♪ ト〜ザイ♪
ここに発するぅ〜玉名は〜♪
小森の夜空に咲く〜(花火名: ほとんどすすき冠菊) 早打ち♪
ただし〜♪この玉〜♪奉納者は (奉納者の名前) 様より右の両者へご〜♪ほ〜♪の〜ぅ♪ 」

と口上が終わるやいなや
ぼかーん!と打ち上がるのだw

奉納者は例年20数名程度で40分くらいで終わるイベント
さすがにいなかの奉納花火なので種類は冠菊とスターマインくらい

都会では花火見に行くのにも大渋滞、しかも有料席でも小さくしか見えないような状況なのにここでは花火を十数名で独占できるのだよ、こんな贅沢はない

小森諏訪神社例大祭を含む小鹿野の歌舞伎は今のところ小鹿野の中の閉じた空間のイベントとなっており外国人観光客たちの侵略をいまだ受けていない
(今後はどうなるかわからんけど)

いつまでも日本の伝統芸能を受け継いでいってもらいたいよ
小鹿野のみなさんありがとうございました。また来年会いましょう

艶やかで力強い!小鹿野町・奈倉妙見宮例大祭「女歌舞伎」の熱演に感動
小鹿野と言ったら歌舞伎といわれるくらい有名なとこなんよ
奈倉妙見宮に到着したのは夕方6時、日もどっぷり暮れてこんな真っ暗な中を係員のかたに駐車場へ誘導される

着いたときはあいにくの小雨であったがなんとか傘をささずに済む程度だったよ

ここにはほぼ毎年来てるんやけど地元の人たちの手作り感満載の祭りなのである

それにしてもすごい人である。歌舞伎の催しは小鹿野の人たちの魂そのものなのである

出店も地元の人たちがすべてやっているのだよ

場内はもう満員、私が到着したときはカラオケ大会をやっていた

入口付近で歌舞伎役者さんたちが準備中。この人たちはプロの役者さんたちじゃないんやで、みんな一般の方々なんよ

会館に入る人へのお願い
「履物用のビニール袋を用意してあります。自分の履物は必ず持ってお上がりください」
でもビニールが見当たらなかったからそのまま靴を脱いで入った

歌舞伎の前に神楽保存会の神楽があった

本日の演目は「釣り込」

恵比寿が出てきて餅をつけた釣り糸を観客の前に垂らすと

餌(餅)に食いついた!!😁

1000円札釣れた━━━━(゚∀゚)━━━━!!

さらに獲物を探して釣り糸を垂らすと...

ばあさんが餌にかかったww

なおも釣りは続くぞぉぉ

今度は子供がかかったw

でもこの子供は必死に抵抗w

踏ん張った末に...(^o^)

ゲットぉぉ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
(もはや観客から銭まきあげる演目になっとるなww)

次の餌を狙って釣り針を垂らすと...

親子が釣れた━━━━(゚∀゚)━━━━!!

このばあさんは粘りに粘っておったが...

お金じゃなくてお菓子www

いちばん前に座っていたねえちゃんもかなり粘っていたが...\(^o^)/

首飾りwww
さすがにこれはワロタw

最後は観客席にありったけの餅を投げてくれてお開きとなった


前座が(失礼!)終わってやっと本日のメインイベント
今年は「義経千本桜」である

本日の演目は二段目の「伏見稲荷鳥居前の場」
源義経が兄・頼朝に追われて都落ちする際に、愛妾の静御前が追いつき、義経が静に「初音の鼓」を形見として渡し、静を木に縛り付けて出発するという

このかた確か昨年も主役だったよな

ちなみに区長さんの冒頭のあいさつで
「たとえば三千円だったとしたら三萬円って書いてあげます」だそうだよw

静御前ww
もっと若い役者さんはおらんかったのかい

この1時間の演目のためにどれだけの稽古を重ねてきたのだろうか
本当に頭が下がる気分だよ

弁慶キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
奈倉妙見宮例大祭の歌舞伎の特徴は全員女性、女歌舞伎が見れるのはここだけなんだよ。弁慶役の女性声が可愛くてよかったよw

静御前が縛られて

頼朝の命を受けた追ってがやってきた

ちなみに真ん中の女の子は小学校5年生だとのことだよ

みんな役者に成りきってて感動したよ

みなさんお疲れ様でした。また来年も来ます

岩遊歩道と登山リレーの衝撃歴史を巡る旅、桜島へ行ってきた!
大学時代何度も計画を立てたのに、なぜかいつも行けなかった桜島。まさかこんな数十年後にようやく念願が叶うなんて自分でも信じられない。この地にやっと足を踏み入れる日がやってきたのだ!噴煙を上げる姿が、ただの山じゃないってことを物語っていて言葉にできない感動がこみ上げてきた。

一歩足を踏み入れた瞬間、目の前に広がっていたのは、黒い溶岩が固まってできた荒々しい大地。これが、1914年の大正大噴火で流出した溶岩が冷え固まったものなんだって。わずか数日で、島の形を変えてしまうほどの巨大な噴火だったとは信じられないな

桜島のあちこちにある、この白いドーム型の建物。噴火した時に、大きな岩石から身を守るための避難壕。噴火警戒レベルが上がるとこの中に避難するんだよ。

空からパラパラと降ってくる火山灰。まさにリアルな桜島の日常。車の上や道路の端には黒い火山灰がうっすらと積もっている。これが毎日続くなんて生活は本当に大変だよ。でも、みんな傘をさしたり、当たり前のように対応していて、そのたくましさに感動した

道路の端っこに、火山灰が積もってるのわかるかな?降灰がひどい時は、道路が真っ黒になってしまうそうだよ

2010年以降、鹿児島県の桜島は火山活動が活発化し年間の噴火回数が1000回を超えることもあるそう。2016年2月には爆発的な噴火があり噴火警戒レベルが引き上げられた。

日本国内には7つの巨大カルデラ噴火を起こした火山があり、そのうち4つが九州に集中してる。その中でも最大の阿蘇山が噴火した場合、火砕流が2時間で700万人が暮らす領域を焼き尽くすそうだよ

ちなみに1914年1月12日から1915年9月頃まで続いた桜島の大正大噴火は、20世紀以降の日本の火山噴火の中で最も大きなものの一つ。この噴火では、噴出物の量が膨大であり、噴火中に発生した桜島地震も含めて58人が死亡または行方不明となった。この噴火によって、桜島は溶岩流によって大隅半島と陸続きになった。

大正大噴火では、溶岩1.34立方キロメートル、テフラ0.5立方キロメートルの噴出量が推定され、これは20世紀の日本で最も大規模な火山活動だった。死者や行方不明者は公式には58名とされていますが、実際にはさらに多くの人々が影響を受けた可能性がある。

桜島の最古の記録と大規模噴火は708年(和銅元年)が最古。大規模噴火は、天平宝字、文明、安永、そして大正噴火の4回。

しかし今日は雲一つない快晴でよかった
天平宝字噴火から文明噴火までの約700年間は噴火の記録がありませんでしたが、近年の調査で950年頃と1200年頃にも噴火があったことが判明した
天平宝字噴火(764〜766年):

文明噴火(1471〜1476年):
安永噴火(1779〜1782年):
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海底噴火により「安永諸島」と呼ばれる新しい島々が出現し、現在でも4つの島が残っている。
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噴火による死者は153名と記録されている。

大正噴火(1914〜1915年):

大正噴火以降の活動:
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1946年の昭和噴火では、溶岩流が海にまで達した。
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1955年からは南岳山頂火口が活発化し、1985年には年間爆発回数が474回を記録。
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2006年に昭和火口が再噴火して活動が活発化し、2009年以降は年間爆発回数が900回を超えるなど、活発な状態が続いている。
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昭和火口は噴火により拡大し、南岳山頂火口と隣接する形態となった。

火山の爆発の威力とはどれくらいなのだろうか?
桜島史上最大規模の噴火とされる1914年の大正大噴火を例に挙げると広島型原爆の数千〜数万倍にもなり、史上最大の水爆のエネルギーをも上回る可能性があるとされている。

ちなみに史上最大と言われている大正大噴火のときは
噴火が始まる数日前から地震活動や井戸の水位上昇といった前兆現象が観測されていました。このため、多くの住民が自主的に避難を開始し、また、村長や警察の指示のもと、フェリーや和船を使って島外に避難しました。
結果として、2万人以上いた住民のうち、犠牲者は58名(地震による被害も含む)にとどまりました。これは、大規模な噴火であるにもかかわらず、多くの命が救われた「成功例」として語り継がれている。

で大正大噴火レベルの噴火が、何の予兆もなく、桜島の展望台でいきなり発生した場合残念ながら、
生存確率はゼロだって(^_^;)
展望台は火口に非常に近いため、噴火と同時に発生する高温の火砕流、巨大な噴石や火山弾の直撃を受ける可能性が非常に高いです。これらは時速数百kmで流れ下るため、逃げることはほぼ不可能。

桜島では、毎年、大規模な噴火を想定した「桜島火山爆発総合防災訓練」が実施されている。これは、住民だけでなく、行政、警察、消防、自衛隊など、多数の関係機関が参加する実践的な訓練です。
噴火による道路寸断などを想定し、フェリーや漁船を使った海上避難訓練も行われている。これは、能登半島地震の教訓も活かされており、陸路が使えなくなった場合の対応を強化する目的がる
多言語対応: 近年、外国人観光客が増加しているため、多言語による避難誘導や避難所での対応を訓練している。外国人観光客役を配置し実際に避難誘導する訓練も行われている。

風が吹くと、地面に積もった火山灰が舞い上がってまるで砂嵐みたいになったよ。桜島の火山灰って、偏西風の影響で、ほとんどが東側に飛んでいくんだって。だから、鹿児島市内も降灰の被害を受けるんだけど、風向きによっては、宮崎や大分、遠くは四国や関東まで飛んでいくこともあるらしいよ

桜島は火山活動が活発で、平均して3日に1回は噴火する活火山でありながら人々が住んでいる。桜島へのアクセスは鹿児島港からフェリーで15分で到着し運賃は200円で後払い。24時間運航のフェリーは珍しい

溶岩の上を歩ける遊歩道、目の前に広がる錦江湾を眺めながら、ゆっくり散策するのにぴったりだよ。ゴツゴツした溶岩の上を歩くと、地球の表面を歩いているような不思議な感覚になった。こういう自然をそのまま活かした観光スポットって、本当に魅力的だよね

島は活発な火山活動を続けており常に噴火の危険があるため、火口周辺は立ち入り禁止区域に指定されてる。特に南岳山頂火口及び昭和火口から概ね2km以内は、噴石や火砕流の危険があるため、立ち入りが厳しく規制されている。
かつては登山道が整備されており山頂まで登ることができた時期もあったそうだが1955年の噴火で登山者が死傷する事故が発生したことをきっかけに、入山規制が始まった。
現在、一般の観光客が立ち入ることができる最高地点は湯之平(ゆのひら)展望所標高373mにあり、桜島の山頂や火口を間近に眺めることができる絶好のスポットとなっている。

まあ当然想定されることではありますが過去には、観光客や登山愛好家が火口付近への立ち入り規制を無視して立ち入り禁止区域に侵入したというニュースや目撃情報が報じられたことがある。
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観光客の立ち入り: 立ち入り禁止区域を無視して火口付近まで近づいた観光客が、警察や関係機関によって保護・誘導される事例。

ちなみにですが
入山規制前は、学校の遠足で山頂まで登ることもあったようで。。。
これは流石にワロタww

ちなみに過去には桜島登山リレーというのがあったそうで概要は。。
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コース: 噴火口のある南岳の山頂を目指す、およそ4kmのコース
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開催時期: 昭和初期から中期にかけて行われていた。特に、1946年の大噴火の後も開催されていた記録が残っている。
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参加者: 当時の映像を見ると、選手たちはランニングシャツに短パンという軽装で、足元は地下足袋のようなものを履いている人もいた。
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走路の状況: 走路には火山灰が積もっており、非常に滑りやすかった。また、ゴール近くになると大きな岩がゴロゴロと転がっており、選手たちは手をついてよじ登るように進んでいました。まるでロッククライミングのような様子だったと伝えられている。
どんだけ命知らずやねんw

ちなみに1955年の噴火で、北岳で死傷者が出たことをきっかけに、桜島への登山自体が禁止されました。これ以降、「桜島登山リレー」は二度と開催されていません
でも絶対外国人の迷惑ユーチューバーとかで登るやつ今後出てくると予想

鹿児島市では、火山灰が降った際に、住民が家庭で出る火山灰を詰めるための専用の袋「克灰袋(こくはいぶくろ)」が無料で配布されている。
これは「灰に克つ(かつ)」という意味が込められており、火山灰と共存していくという住民の強い意志を表しているのだよ。
この袋に火山灰を詰めて指定の場所に出しておくと、市が回収してくれます。この灰は、道路の補修や埋め立てなどに再利用されることもあるそうだよ

ちなみ世界の火山の噴火で、史上最大の犠牲者を出したとされているのは、インドネシアのタンボラ山。
1815年に発生したこの大噴火は、噴火そのものの規模だけでなく、それに伴う間接的な被害も合わせると、人類史上最悪の火山災害の一つとされています。
タンボラ山噴火による犠牲者
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間接的な犠牲者: 噴火で成層圏まで吹き上げられた大量の火山灰や火山ガスが、地球全体を覆い、太陽光を遮断しました。この影響で地球規模の気温低下が起こり、1816年は「夏のない年」**と呼ばれました。世界各地で農作物が壊滅的な被害を受け、大規模な飢饉や疫病が蔓延し、多くの人々が命を落としました。
この直接的・間接的な被害を合わせると、犠牲者の総数は7万人から12万人と推定されており、これが単一の火山噴火による史上最大の犠牲者数と言われている。

都道府県庁所在地の中で、鹿児島市は源泉数が日本一と言われている。市内に約270か所もの源泉があるそうだよ
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銭湯がほとんど温泉: 鹿児島市内の公衆浴場(いわゆる銭湯)のほとんどが、天然の温泉を利用しています。そのため、市民は数百円という手頃な価格で、毎日気軽に温泉を楽しむことができる。
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多彩な泉質: 鹿児島市には、単純温泉、ナトリウム-塩化物泉、炭酸水素塩泉など、様々な泉質の温泉が湧き出ています。市内を少し移動するだけで、異なるお湯を楽しむことができるため、「湯めぐり」も楽しめる。
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ホテルや旅館の温泉: 観光客向けには、市内のホテルや旅館にも天然温泉を引いている施設が多くあります。特に、桜島を望む絶景露天風呂を持つホテルは人気。
このように、鹿児島市は街全体が温泉郷のようであり、市民の間では「温泉に入ることを『フロに入る』と呼ぶ」と言われるほど、温泉が生活の一部となっている。

ちなみに桜島フェリーは前述の通り現在、24時間営業
鹿児島市と桜島を約15分で結び、日中は約15〜20分間隔、深夜は1時間間隔で運航しています。
しかし、鹿児島市の公式情報によると、2025年10月1日午前0時から24時間運航を見直し、深夜帯(午前0時台から3時台)の便は運航を停止することが決定されています。これは、利用者の減少による経営上の理由によるものです。
したがって、現在(2025年9月15日時点)は24時間運航していますが、今後利用される際にはご注意くださいね。

ここで素朴な疑問
なんで桜島に住む人がいるのだろうか?
桜島は活火山であり、噴火の可能性が高い地域であるが、約5000人が住んでおり、コンビニや学校施設も整っている。なぜ活火山に住むのかという疑問があり、移住の可能性も考えられるが、桜島の豊かな自然や温泉に魅力を感じる人も多い。集落を離れることの難しさや、福島原発事故の被災者の苦労を考えると、簡単に解決できる問題ではないと感じられる。

桜島はデートコースとしておすすめか?
個人的な感想になるがおすすめはしない
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日陰がない:
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トイレが近くにない:
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桜島の主要な観光スポットや展望所にはトイレが設置されていますが、移動中の道中では少ないのが実情。
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島を一周するドライブやサイクリングをする際は、次のトイレまで距離があることを考慮して、事前に場所を確認しておく必要がある。
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ずっと歩く:
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桜島の観光は、車や周遊バスを利用するのが一般的だが、展望所や遊歩道ではある程度の距離を歩くことになります。
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例えば、溶岩なぎさ遊歩道は全長約3kmあり、景観を楽しみながら歩くには良いが真夏などは体力的に厳しいかもしれない。
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灰が降ってくる:
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桜島は活火山であり、日常的に噴火活動をしてる。風向きによっては火山灰が降ってくることがあり、特に多い時は視界が悪くなったり、体や衣服が汚れたりする可能性がある。
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命の危険がある:
- もちろん火口周辺2km以内は立ち入り禁止区域となっており、観光客が訪れる主要なスポットはこの範囲外にあるが、活火山である以上予測不可能な事態が起こる可能性はゼロではない。

みやげ物屋はすごい数の人だったよ
桜島の主な特産品は以下の通り。

戦時中には爆弾の代わりにもw
ユニークな伝説として、第二次世界大戦中米軍が上空から桜島大根畑を見つけ、「この島には不発弾がこんなにたくさん埋まっているのか!」と誤解し、爆撃を避けたという話が語り継がれている。この話が本当かどうかは定かではないがそれほど桜島大根が異様な大きさだったことを物語っています。
さすがにこれは創作だわw(^_^;)

壮大でワイルドでちょっと怖いけど愛おしいそんなツンデレな桜島にあなたも会いに行ってみませんか? (追記: 桜島フェリーの24時間運航は2025年10月1日午前0時〜をもって終了となったとのことです)