社内ニートが巡る全国旅日記

今にも会社クビになりそうな超ド底辺社畜ニートがいろんなとこ巡ってます

旧トードス・オス・サントス教会堂跡「春徳寺」へ行ってきた(^▽^)/

長崎市電の中川町停留所から徒歩で約10分ほどのところにある華厳山春徳寺に行ってきた。このお寺も筑後町にある本蓮寺と同じように昔カトリック教会であった跡地に建てられた仏教寺院なのだ

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春徳寺の前に建てられていたのは長崎で最初に建てられたカトリック教会、「トードス・オス・サントス教会」当時のイエズス会ルイス・デ・アルメイダの協力もあって建設された教会であった

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【春徳寺(トードス・オス・サントス教会堂跡)】

 [トードス・オス・サントス教会堂時代]

  • 1569年(永禄12)にビレラ神父によって大村純忠の家臣だった長崎甚左衛門がイルマン・ルイス・アルメイダに与えた土地に建てられた
  • ルイス・アルメイダとは長崎ではじめてキリスト教の布教をしたとされイエズス会の宣教師
  • 1602年(慶長7)と1605年(慶長10)には修練院も開かれた
  • 以後、1602年(元和5)までこの教会は存続する
  • 1619年に禁教令によって教会は破壊される

 

 [春徳寺時代]

  • 1630年(寛永7)に岩原郷(現在の立山町)に開山。当時は華厳山ではなく大梅山春徳寺と称していた
  • 1640年(寛永17) 幕府の命によって破壊されたトードス・オス・サントス教会跡地に寺を移転する
  • 幕府の命により当時の寺の住職は輸入された書籍の中からキリスト教関係の記述の有無を検査する任務を任されていた。
  • 14代住職の鉄翁禅師は南画家としても知られ、木下逸雲、三浦悟門らとともに長崎三画家の一人と言われる
  • 当時の春徳寺の周辺には南蛮からもたらされたタバコの種が植えられ一面タバコ畑だった
  • この寺の裏山には中国文化の影響を色濃く残す広大な「東海の墓」がある
  • カトリック教会時代の遺構としてキリシタン井戸が残っている

 

門をくぐるとこのような本殿がある。行った日はだれもいなかったよ

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この寺は非常に小さいお寺だったよ(墓地の部分は除く)、もちろん日本庭園の中のキリシタン井戸までは行けなかったけど

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残念ながらこの寺でいちばん有名なキリシタン井戸は事前予約が必要なのだ。いきなり行っても見れません。

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おそらくここがキリシタン井戸であると思われる。しかたがないので寺の外から撮った

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次にこの寺の裏山ある「東海の墓」に行ってみることにする。ここの細い道から入っていくんだよ

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花火による火災ってww 

(寺の境内で花火はまずいっしょw )

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こんな道をひたすら歩いていくのだ、かなりの距離を歩く

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「東海の墓」に到着したすげえ墓だよ。東海家とは中国を先祖とする家系の人々らしくて唐通事って役職を歴任したそうだ。この先は5段になっていて計29基もの墓がある

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写真だとあまり感じないけどすごい雑草だよ。もはやヘビのいる気配を感じたため最上段まで行くのはやめておいた

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にほんのことわざの中に「東海の墓普請(とうかいのはかぶしん)」という言葉があるけどこれは当時の東海徳左衛門が墓を気に入るまで何度も作り直させたということで、手間ばかりかかっていっこうに仕事がはかどらないという意味

 

 

 

最後に...

 

 

そんなに花火の害にあってんのかよw  

(祟られるぞ)

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