社内ニートが巡る全国旅日記

今にも会社クビになりそうな超ド底辺社畜ニートがいろんなとこ巡ってます

涙なしには語れない「日本二十六聖人記念館」に行ってきました

長崎市の西坂、ここは豊臣秀吉の時代の敬虔なキリスト教信者が十字架にかけられて処刑されたところだよ。中学や高校の歴史の授業をまじめに聞いていた人なら知ってると思うけど当時はカトリックの布教・信仰はご法度であり、それを犯した場合は改宗または棄教を強制、それでも従わない場合は死刑が待っていたのだ

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ここは現在西坂公園となっている。

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秀吉の命により京都や大阪で宣教師、聖職

者、信者計24名が捕らえられ長崎に送られる。のちにこれらの死への旅路に自らの意思で加わった2名の以上26聖人として殉教の歴史に名を残すことになるのである

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まず彼らは手始めに耳たぶを切り取られ牛車に乗せられて京都の町中を引き回された。その中の1人、ルドビコ茨木はなんと。。

 

12歳( ;∀;)

 

大坂から処刑されるため長崎へ徒歩で毎日30キロ以上も歩かされた。そして一同は佐賀県唐津にある山本村に到着した。そこでは長崎奉行の弟で刑の執行役を任された寺沢半三郎が待っていた。

 

寺沢はこの26人の中にこんな幼い子がいたとは知らずに驚愕した。不憫に思った寺沢は「私に仕えるなら刑の執行は免除する」とのこと。ルドビコは「この世の短い人生と永遠の命を交換することはできないと」喜んで刑場へ行ったとのこと。。。

 

前置きが長くなりましたが。。。

 

涙が止まらねぇ。。。

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西坂公園から日本二十六聖人記念館に行くことにする。。開館しててよかった

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1962年に開館して2010年にリニューアル工事をおこなって今に至る。

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記念館入り口には聖ロレンソ・ルイスの像、この人は26聖人ではないがフィリピン初の殉教者

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では記念館に入ってみるべ

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館内に入るとまずは「石膏リリーフαΩ」と題された作品がある。「私はα(アルファ)でありΩ(オメガ)である」は聖書の中の有名な聖句でありαΩはキリスト、これを26個の十字架が囲んでいるという作品だよ

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館内はこんな厳かな感じ。冷房がめちゃくちゃ効いてて助かった。。展示室は全部で10のゾーンに分けられていて1~8が1階、9と10が2階にある

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いちばん奥の像がパウロ三木の銅像

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これは島原天草の一向一揆一揆軍が籠城した原城から見つかった銃弾、弾のほかに小さな十字架もある

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実際に殉教者が着ていたシャツ

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これが秀吉が掲げた「高札」と呼ばれているもの

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要約すると

キリシタン家門は長年禁止されている。もし不審なものがいれば訴え出よ。その褒賞として

  • 司祭のことを訴え出たもの者には              銀500枚
  • 修道士のことを訴え出たもの者には             銀300枚
  • 立ち返り の者(注1)を訴え出たもの者には同じく 銀300枚
  • 同宿(注2) や宗門(注3)の者を訴え出たもの者には 銀100枚

を与える。以上のように命令を与えるものである。

たとえ同宿や宗門の徒党であっても訴え出るものによっては銀500枚を与える

隠し置いておいてほかのところから発見されるようなことがあればそのところの名主や五人組など一族までも罪科に処せられるものである

 

(注1)  一旦棄教したものの、再度布教活動をするキリシタン

(注2)  キリシタンを匿っている者

(注3)  宣教師とともに寝食を共にしている協力者

 

ちなみに銀500枚って現在の価値にするとなんと

 

約4000万円( ゚Д゚)

 

 

 

これは当時の「寺請証文」と呼ばれるもの。宗門手形とも言われる。結婚や移転、奉公のときなどにキリシタンでないことを寺が発行する証明証、後に身分証明書の色合いが濃くなる

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要約すると

覚書、右の1名は当寺の檀家の者で間違いございません。もし今後ご法度の宗門に出入りすることがありましたらいつでも私どもの寺が承ります。後日のため上記のとおりです

 

司祭服の布切れ

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踏み絵 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

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「宗門改帳」と呼ばれるもの。徳川奉行のキリシタン禁制の1つで国民一人一人の宗門と所属する寺を明記し、その寺の認印を押して役所に届けさせるという制度

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徹底っぷりがハンパねぇぇ(*_*)

 

そこまでキリシタンにビビッてたんやね

 

 

 

これはキリシタン柄と言われるもの。迫害が始まるまえの禁教のまえのキリシタンになった武士たちは好んで十字架の形をもちいて刀を飾っていた

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昔の日本の古地図。北海道がwww

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殉教者の遺品

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隠れキリシタンが持っていた土人形、信仰を表すために当時の信徒たちはさまざまな工夫をした。これは日本のおとぎ話に出てくる金太郎と山姥の像

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マリア観音 母が子を抱いているこういった中国製の仏教美術品をみんな信仰の対象として解釈しなおしたんだよ

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天草の隠れキリシタンが持っていた祈りの文書、長崎にくると「オラショ」という言葉をたくさん見かける。オラショ(Oracao)とはポルトガル語で「祈り」を意味する

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隠れキリシタンがおこなっていたクリスマスの儀式、彼らは「お大夜」と呼んでいた。

左の3つのお椀委には「お神酒」と「刺身」、右の3つのお椀委「飯」と「魚」、これはキリストの最後の晩餐に出てくるパンと杯を2重写しにしたものだと思うんだよ。我々はクリスマスケーキでお祝いがスタンダードだけど彼らは独自の礼拝の文化を育んできたのだ

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このビデオ感動的だったわ。。1995年におこなわれた奈留島(五島)で最後のかくれキリシタンのお大夜=クリスマスイブの儀式。

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つい最近までやっとったんかい( ゚Д゚)

 

30分弱のビデオ上映だったが2回見てしまったよ

 

 

26聖人の処刑の図がでかい壁一面に描かれておったよ

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1570年に描かれたオルテリウスのアジア新図なんだけど

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日本がほぼにゃい( ノД`)シクシク…

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「神は愛なり」ここに聖人の遺骨が飾られているのだ。この部屋で真剣に祈りをささげている人が多かった(たぶんガチのクリスチャン)

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マカオから里帰りした殉教者の遺骨

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展示物も貴重なものばかりだし見ていてまったく飽きない。ここ来た次の日も再びここに来たくなったよ。長崎の旅行から帰ってきてからこの記事書いてるんだけど実はここが訪問した中でいちばんよかったわ

 

 

長崎に来たら絶対行くべきおすすめスポット。