会津にもやはりキリシタンの殉教地はあった!「キリシタン塚」へ行ってきた
私も本当に教養が無いものでして(´;ω;`)ウゥゥ キリシタンの殉教なんて有名な長崎の26聖人だけでしょ!って感じでずっと思ってたんですけれども実は東北にこれだけの殉教者がいようとはまったく思ってもいませんでした
ここ会津の地においても1635年(寛永12)に宣教師を含め多数の殉教者を出した歴史があるのだ。今日は会津若松から車で10分ほどのところにある「キリシタン塚」へやってきた
当時ここを治めていたのはかの有名な蒲生氏郷である。KOEIのゲーム「信長の野望」においても蒲生氏郷は戦闘力、知力、政治力、智謀とすべてのファクターにおいて高い数値を誇っており相当に優秀な大名であったことがうかがえる。本人も敬虔なキリスト教信者であり洗礼名は「レオ」であったそうだよ
このキリシタン塚は住宅の横にあり周囲にはこのような田園風景が広がっているのだ
蒲生氏郷は多くの教会を建ててそれにともない信者が爆発的に増えていったのだ。当時の会津若松では....
住民の3割がキリスト教徒であった( ゚Д゚)
禁教令においてこの東北の地においても幕府による締め付けが厳しくなり1632年(寛永9)に会津藩15人,白河藩13人,二本松藩14人,若松藩42人のキリシタンが殉教している
キリシタン塚の裏はこのような風景が広がっている。ここは薬師川原と言われている刑場の跡で、後に60体もの人骨が発見されている
塚の前にはこのような花が置かれている。ここも頻繁に手入れをしてくれる人がいるのだ
東北には長崎に劣らないくらい多くの殉教地がある。このようなところを今後も見つけては巡ってみたいと思っている。