社内ニートが巡る全国旅日記

今にも会社クビになりそうな超ド底辺社畜ニートがいろんなとこ巡ってます

郡崩れで処刑されたキリシタンたちの「獄門所跡」へ行ってきた 

 先ほど「首塚跡」→「胴塚跡」と巡ってきて最後にやってきたのは「獄門所跡」だよ。この「獄門所跡」は今からおよそ400年前、禁教下において長崎に潜伏していたキリシタンが一斉摘発(郡崩れ)され、その時に切り落とされたキリシタンたちの首が20日間さらされていたところ

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獄門所跡にはこのような白いマリア像が建てられているのだ

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場所はこのような公民館の入口

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獄門所には処刑された131人のキリシタンの名前と「この者百三十一人切支丹宗門につき斬罪せしめる所なり」と書かれ高札が掲げられた。親戚縁者による首の盗難を防ぐため、足軽4人、百姓2人の番人を2交代で24時間をつけここを警護していた。

 

【郡崩れの原因】

郡崩れとは当時の禁教下に置いて水面下にて信仰を続けていた長崎の郡村のキリシタンが一斉摘発をを受け信徒たちのコミュニティが崩壊(崩れ)たこと

  • 1657年(明暦3年) 長崎に住んでいた池尻理左衛門という者に大村に来た兵作という知人から以下のような話を聞く

「郡村の矢次という所に、天草四郎の生まれ変わりという神童が現れた。その神童は萱瀬村の山奥に不思議な絵を隠し持って奇妙な術を説く。もしその不思議な術を見たければそこに連れていく」

  • 理左衛門は兵作がすぐにキリシタンだとわかり役人に通報
  • 長崎奉行は兵作を捕らえ尋問が始まる
  • 兵作の親族、妻子、近所に住んでいたものが次々と捕らえられ尋問により山中の隠れ家にいたキリシタンたちが芋づる式に捕らえられる
  • 兵作の言っていた天草四郎の再来と呼ばれていた少年は六左衛門といいその家族が中心となってキリスト教の信仰を続けていた
  • 信徒たちが集まった場所は、萱瀬の仏の谷にある十畳敷きほどの岩陰だった
  • この事件は日を追うごとに、郡村から萱瀬村、江の串村、千綿村へと広がり、ついに逮捕者は603名となった
  • 尋問の結果、改宗したもの99名、永牢者20名、取り調べ中死亡(改宗をせまられた拷問にて死亡したものと思われる)した者78名、そして残りの406名が斬首刑となった。
  • 斬首になるキリシタンがあまりにもその数が多かったため、大村(131名)、長崎(118名)、佐賀(37名)、平戸(64名)、島原(56名)など各地で刑が執行された
  • 切られた首は「獄門所」にて約20日間も見せしめのため市民にさらされた