【九州の小京都】鉄壁の守り!14代続いた伊東氏の誇り「飫肥城」を歩く
宮崎県日南市にある飫肥城にやってまいりました
ここは、天正16年(1588年)から明治初期までの約280年間にわたり、飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町として栄えた歴史深い場所。街全体が歴史の息吹を感じさせる「九州の小京都」と呼ばれるこの地での体験をご紹介したい

飫肥城はNHK連続テレビ小説『わかば』のロケ地にもなった。ドラマのファンなら、一度は訪れたい

「ドドーンドーン」という景気の良い太鼓の音が響いてきた。音のする方へ行ってみると、四半的(しはんまと)という弓術の体験ができる場所。料金は8本で450円と手軽である

この四半的は一般的な弓道とは少し異なる。名前の由来は、四間半(約8.2m)の距離、四尺半(約1.36m)の矢の長さ、四寸半(約13.6cm)の的の大きさという「四半」がつく寸法から来ているそうだ
座って矢を射るスタイルで指導員の方が非常に丁寧に指導してくれるため、初心者でも安全に楽しむことがでる。

的の真ん中に見事的中させると、「ドドーン」という太鼓の音とともに、記念品がもらえる仕組みになっているのだよ

飫肥城下町『食べあるき・町あるき』のイメージキャラクターあゆみちゃん

若い女子グループ発見!私の悪癖なんだけど若い女子グループを見つけるとコバンザメのようについて行ってしまうことなんだよ

今日は平日だったので観光客はまばらだった飫肥城周辺の観光客数は年間を通じた観光客数は約20万人だそうだよ

飫肥の名物といえば「おび天」である。これは単なる揚げ物ではなく江戸時代から数百年間にわたり受け継がれてきた、飫肥を代表する名物
その独特な美味しさの秘密は、贅沢な素材と製法にある。
素材: 日南海岸で水揚げされた新鮮な魚のすり身を使用。
製法: 手作りの豆腐と黒砂糖、味噌に秘伝のだしを合わせ、油で揚げる。
これにより一般的な薩摩揚げとは違うほんのり甘くふっくらとした独特の風味を持つ天ぷらが完成する。飫肥を訪れたならこの歴史と風土が育んだ伝統の味をぜひ試すべきである。

飫肥城跡の中心は、昭和53年に復元された立派な大手門。この門をくぐると苔むした石垣や石段が、当時の力強い藩の姿を物語っている。
敷地内には、以下の重要な見どころが点在している

飫肥城の歴史は、藤原氏南家の流れを汲む伊東家の歴史と深く結びついている。
伊東氏が正式に飫肥城を治めることになったのは初代藩主である伊東祐兵(いとうすけたけ)が豊臣秀吉から城を与えられた天正15年(1587年)以降のことだ。
それから明治4年の廃藩に至るまで、実に約280年間にわたり、14代にわたって伊東氏がこの飫肥藩を治め続けた。この城が持つ重厚な雰囲気は、数百年に及ぶ伊東家の支配の歴史が生み出したものである。

この城の堀の特徴に「空堀(からぼり)」という水を入れない堀がある。敵の侵入を防ぐための仕掛けがあちこちに張り巡らされている。

伊東氏のルーツは平安時代の藤原氏。しかし、家督争いのドロドロ劇が幕を開ける
曾我兄弟の仇討ち…実はこの一族の内輪揉めが発端だった。父の敵を討つため、兄弟は命を賭けて工藤祐経を討つ。その結果、本家は血塗られた歴史を背負い、日向へと向かう運命に。一族の歴史は、すでに争いの予感に満ちていた。

城内を進むと、ゴツゴツとした力強い石垣が目を引く。この石垣は、単に壁ではなく敵の侵入を防ぐための高度な防御構造「桝形虎口(ますがたこぐち)」の一部
桝形虎口とは、敵がまっすぐ城内へ進めないよう、門を入った後に意図的に直角に曲がる構造にすることだ。まるでゲームのダンジョンのように、敵の動きを封じる工夫がされている
さらにこの石垣自体にも技術が凝らされている。よく見ると、石の長辺と短辺を交互に重ねて積む「算木積み(さんぎづみ)」という技法が使われている。これは石垣の強度を最大限に高めるための、当時の職人の知恵だ。地震が多いこの地で、何度も補修されたという歴史が、この石垣を一層力強く見せているのである。

先の記事で触れた石垣に使われている石は「飫肥石(おびいし)」という地元の石材である。白っぽい色合いと、独特の肌触りが特徴的なこの石は、まさに飫肥の自然が育んだ特別な石だ

飫肥城の設計は南九州特有の「群郭式縄張(ぐんかくしきなわばり)」という珍しい形式をとっている。
これは、複数の曲輪(くるわ、城の区画)が独立した形で配置される構造のことでこの設計の利点は、たとえ一つの曲輪が敵に奪われたとしても残りの曲輪で戦いを継続できる点にある。飫肥城はあたかもいくつもの要塞が組み合わさった巨大な要塞のような機能を持っていた。この縄張からは、伊東氏の徹底した防御への意識が感じられる。

南九州といえば真っ先に思いつくのは薩摩の島津である。関ヶ原の有名な「島津の退き口」や朝鮮出兵時の「鬼島津」という言葉は誰でも知っていると思う
島津の影に隠れたこの伊東氏の歴史は下記のとおり
【第一幕】南九州を制す!強き当主の登場
南北朝の動乱に乗じ伊東氏は日向で勢力を拡大。特に、中興の祖・伊東祐堯は、島津氏の内紛を巧みに利用し、領内を統一。ついに念願の穆佐城を奪還し、日向国の支配者として君臨する。まるで弱肉強食の戦国乱世を生き抜く傑物!しかし、その強さの裏にはさらなる血で血を洗う争いが待っていた。

【第二幕】栄華を極める「日向の麒麟児」
伊東義祐が当主となり伊東氏はその勢力を頂点に。飫肥城を陥落させ大隅国の肝付氏と同盟を結ぶ。彼の領地は日向一国をほぼ統一する勢いでその威勢は「伊東三位入道」と畏れられた。だが、慢心か、油断か…。この栄華が、後の悲劇を招くことになる。

【第三幕】悪夢の「木崎原」!全てを失う敗北
好機と見た伊東義祐は、島津氏の領地に侵攻。総大将に伊東祐安を据え、3,000の大軍でわずか300の島津軍に攻めかかる。相手は若き島津義弘。誰もが伊東軍の圧勝を疑わなかった。しかし、その結果は…まさかの大惨敗。伊東氏の有力武将の多くが討ち死にし、この敗戦を機に家臣の離反が相次ぎ、一族はすべてを失い日向を追われることとなる
ちなみに飫肥を語る上で欠かせないのが「飫肥杉」だ。この地域特有の温暖な気候と豊かな土壌で育まれた質の高い杉である。
これは遠い昔の話だが、この飫肥という地は私の花粉症が初めて爆発するきっかけとなった場所なのだ。その強烈なデビュー戦の相手がまさにこの有名な飫肥杉だったというわけだ

【最終幕】流浪の末路、そして…
故郷を追われた伊東義祐は、大友宗麟を頼るも、耳川の戦いでも再び敗北。度重なる不幸に、かつての威勢は見る影もない。彼は豊後をさまよい、やがて摂津国で倒れ、孤独にその生涯を閉じた。日向に一大勢力を築いた名家は、ここに滅亡したのだった

飫肥城の歴史資料館の下には、見逃せないパワースポットがある。それは四隅に一本ずつ立っている四本の杉だ。
この杉は「四本の杉が合わさる=しあわせ」という語呂合わせから、「しあわせ杉」と呼ばれている。
特に恋愛成就や願い事が叶う場所として若い観光客に大人気らしい。この四本の杉の真ん中に立って写真を撮ると、幸せのお守りになると言われているのでぜひ訪れた際にはこのスポットで幸せを分け合ってみると良いだろう


実はこの小学校の前身はかつて飫肥藩の藩校「振徳堂(しんとくどう)」であった。明治時代の偉大な外交官である小村寿太郎もここで学んでいる

飫肥城跡にある飫肥城歴史資料館は、リニューアルオープンしたばかりだ
館内には、伊東氏や家臣である山田匡得(やまだまさなり)の甲冑や刀剣がずらりと並んでおり、戦国時代の熱気がリアルに伝わってくる。
さらに、この資料館の魅力は、プロジェクションマッピングやCG映像といった最新技術が導入されている

飫肥城では、過去の工事中に興味深い発見があった
城門に使われている礎石の一つに、「正徳三年(1713年)」と刻まれた碑文が発見されたのだ。これは、江戸時代中期にあたる当時の歴史を証明する貴重な資料である。
この碑文が刻まれた礎石は現在、城門内に大切に保存されている。足元の石にも数百年を経た飫肥城の歴史が刻み込まれている


以上ほぼ20年以上ぶりの訪問で実質初めて感あったけどよかった