郡崩れで処刑されたキリシタンたちの「首塚跡」へ行ってきた
今からおよそ400年前、禁教下において長崎に潜伏していたキリシタンが一斉摘発された。この処刑されたキリシタンたちの首が埋められたとされる「首塚跡」に行ってきた
【郡崩れによるキリシタン処刑の経緯】
1657年(明暦3年) 長崎の郡村における潜伏キリシタン608人が発覚(郡崩れ)
取り調べの結果、44人が放免(改宗したものと思われる)、投獄されたもの20人、獄中死 78人、残りの411人が死罪
処刑は長崎で123人、佐賀で37人、島原で56人、平戸で64人、残りの131人は大村城下の放虎原にて処刑された。なおこの131人の首は塩漬けにされ獄門所にて20日間さらされる
首と胴は別々のところへ葬られる
首と胴を別のところへ埋葬したのは当時のキリシタンの復活を恐れたためだと言われている
どんだけビビッてんねんw
首塚跡はスーパーマーケットの裏側にあるのだ
【「....崩れ」とはどういうことか?】
禁教下の潜伏キリシタンの歴史を学んでいくと「...崩れ」という言葉が頻繁に出てくる。有名なものだと浦上4番崩れ、五島崩れなど。これは厳しい取締や密告によって当時の水面下で信仰を保ってきた組織(集落)が壊れる(崩れ)こと
関連施設
「妻子別れの石」この処刑場の周囲には最後の水盃を交わしたとされる
「獄門所跡」
「胴塚」