社内ニートが巡る全国旅日記

今にも会社クビになりそうな超ド底辺社畜ニートがいろんなとこ巡ってます

蒼い目のサムライ「三浦按針の墓」へ行ってきたっぺ

 【三浦按針とはどのような人なのか】

戦国時代に日本に漂着したイギリス人である。当時の徳川家康に召し抱えられ結果的に領地までもらった外国人なのだ。結局祖国に帰ることはできずこの異国の地で55年の生涯を終えることになる

 

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 【三浦按針の日本での経歴とは】

 [漂着から関ケ原合戦まで]

  • 不本意ではあったものの1600年に乗船したリーフデ号にて日本漂着する。これは関ケ原の戦いの半年前のこと
  • 漂着したのは豊後国黒島、現在の大分県臼杵市救出したのは臼杵城主・太田一吉
  • ほっとしたのもつかの間、イエズス会の宣教師らに海賊と誤解されあやうく死刑にされかかったw
  • ちなみに当時のリーフデ号には当時最新の武器がかつ大量に搭載されていた。その内訳は
  1. 大型大砲19門 
  2. 小型大砲12門 
  3. 銃500丁 
  4. 砲弾5000発 
  5. 火薬2500kg 
  6. 鋼鉄製の甲冑

逆に本気で攻撃されてたら当時の日本の船全部沈められてたやん(;^_^A

ただしこれらの武器はすべて没収される。家康によりこれらの武器が関ケ原の戦いで 使われた。また三浦按針本人も関ケ原の戦いに参加したという都市伝説が出てくる

 

  [ウィリアム・アダムスから三浦按針へ]

  • 徳川家康にとても気に入られ、特に外交顧問として重宝される。ちなみにもう1人は オランダ人 の ヤン=ヨーステン ( 耶揚子 /やようす)

   「按針」とは磁石の針を見ながら航路を定める水先案内人のこと

家康に召し抱えられた理由は当時のイギリス人やオランダ人は、スペイン人やポルトガル人などの南蛮人と比べてキリスト教の布教に熱心ではなく、貿易優先であったためだと考えられている

  • 通訳はもちろんのこと航海術や造船技術もあったため現在の静岡県伊東市に日本初となる造船ドックの建設にも携わっている

 

  [日本人女性との結婚]

  • 按針は家康に対して何度も祖国への帰国を嘆願したが聞き入れられることはなかった
  • 日本人女性と結婚する。結婚した相手は馬込勘解由の娘とされる、お雪(マリア)という女性
  • 2人の子供に恵まれる

   長男・ジョゼフ・アダムズ

   長女・スザンナ

しかしここで驚愕の事実が...この三浦按針という人...

 

 

 

 

実は当時本国に妻と子もいたwwww

なお日本での結婚後も日本の生活をイギリスの妻や友人宛へ手紙を出していたものと思われる

 

  • 家康によって250石の旗本に取り立てられる。相模国逸見(神奈川県横須賀市)に所領、浄土寺の付近に按針が住んでいた可能性が高いと言われているがどこに住んでいたか実際は分からない

したがって神奈川県横須賀市逸見にも「三浦按針の墓」がある

ちなみに横須賀市も三浦按針のネームバリューに助けを借りた町おこしをやっていて

  「おゆき(按針の妻)GO(行く)!の会」

というわけのわからない有志団体があるもようw

 

[按針の死とその後]

  • 元和6年(1620)4月日本で亡くなる
  • 2人の子供も詳しい記録は残されておらずその子孫がどうなってるかは不明
  • 一旦は平戸の外国人墓地に葬られたがその後におきたキリスト教弾圧において外国人墓地は破壊、したがって正確な埋葬地は分かっていない
  • が、「伝三浦按針墓地」で2017年に人骨が確認され分析した結果、ウィリアム・アダムス(三浦按針あんじん)本人の遺骨である可能性が高いことが判明

 

【平戸三浦按針の墓】

平戸の崎方公園ここに「三浦按針の墓」があるのだ。ちなみにこの公園はイギリス商館跡近くの小高い丘の上にある

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 崎方公園から平戸湾と平戸の街並みが見える。おそらくデートスポットには最高の場所なのではなかろうか

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 ここが三浦按針の墓、奥さまの「お雪」の墓もここにある

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 墓の下が按針坂ってのになってる

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私が三浦按針初めて知ったのは確かSHOGUN将軍って映画だったと思う。当時三船敏郎とか島田陽子なんかが出演してたやつ。あれからたくさんリメイクされてるみたい

 

数奇な運命と言ったらそれまでだが、やはり異国の地で出世して領地までもらってもやはり本人は祖国に帰りたかったんじゃないかな。