平戸にそびえる白く輝く「紐差教会」へ行ってきたっぺ(*^-^*)
【紐差教会とは】
- まずは「紐差」は「ひもさし」と呼ぶ
- 平戸市のほぼ中央にある紐差地区にある教会
- 東洋でも指折りのロマネスク様式で紐差地区にこんなに信者おるんかいな?って思うくらいの大きな教会
- 浦上天主堂が原爆によって倒壊してか再建されるまではここが日本最大の天主堂
ここが信徒会館1996年にできたもの、なんかとてもきれいで大きいんです
【紐差地区・紐差教会の歴史】
- 紐差地区はキリスト教解禁後もカトリック信徒、隠れキリシタン、仏教徒が混在する微妙な地域。元々は仏教徒が洗礼を受けて信徒になった人が多いという
- 1878年(明治11年)田崎地区に仮聖堂ができる
- 1885年(明治18年)当時のマタラ神父によって紐差教会が建立される
- 1929年(昭和4年)に荻原浩神父の元、鉄川与助(またおまえかいw)の手によって教会が改築され県内最初の鉄筋コンクリート造りとなる。6年前に起こった関東大震災による倒壊の経験も踏まえこれ以降は基本コンクリート造の教会が全国に広がっていく
なおこの教会の建築費用は当時のお金で6万3千円
【鉄川与助とは】
教会だれが作った?って特に長崎の教会では必ずといっていいほどこの人の名前が出てくる。この人は今で言うところの「教会建築オタ」である
- 1879年(明治12年) 長崎県の五島列島中通島の青方村で生まれる
- 父親は鉄川与四郎で大工の棟梁であった
- 有川高等小学校卒業後、しばらくの間家業を手伝い20歳の時に教会建築に出会う
- 与助に影響を与えたのは当時数少ない天主堂建築を手掛ける大工であった野原棟梁、以後野原のもとで天主堂を建築の修行を積む
- 1906年(明治39年) 27歳の時に鉄川組を作る
- ド・ロ神父にも教会建築を教わる。教会建築のみならずキリスト教の精神についても深く帰依していく
- 1959年に黄綬褒章
- 1967年には勲五等瑞宝章を授与されている
- 97歳まで生きて天寿をまっとうする
こんな与助であるが実は.....
仏教徒であるww
なお与助の死後は息子の与八郎、孫の進さんが鉄川工務店を引き継いだ
教会の裏側はこんな大きい十字架が立っていた「十字架の道行」とはカトリック教会で行われる祈りの儀式のひとつ
掃除区分訳w やっぱり信者数のわりに教会が大きいとこうなってしまうんだよね
ファティマの聖母像
非常に残念なことにこの教会も中に入ることはできなかったよ
早くコロナが収束してまたこの教会に来れることを祈りたい