社内ニートが巡る全国旅日記

今にも会社クビになりそうな超ド底辺社畜ニートがいろんなとこ巡ってます

飴屋の幽霊伝説マジ?「光源寺」に行ってきたっぺ('◇')ゞ 

長崎では誰も知らない人はいないと言われる「産女(うぶめ)の幽霊」または「飴屋の幽霊」で有名な「光源寺」に行ってきました。
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【光源寺の歴史】
寛永八年(1631)に長崎にやってきた高僧松吟(しょうぎん)によって寛永十四年(1637)に開山
年に一度御開帳される「産女の幽霊」は多くの人がやってくる。
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このお寺は地元の住民との交流をとても大切にしてるお寺なんよ。光源寺の「ひかり子ども会」っていうのが明治時代から続いていて読経や法話など誰でも参加できる行事が用意されているのだ。
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【子育て幽霊についての物語】
昔この街角に一軒の飴屋さんがあった。ある日の夜、外からトントントントンと叩くものがあるのでそっと扉を開けてみると白い着物を着た25歳くらいの女が一人立っている。見ると顔色は青ざめ髪を振り乱している。
こんな夜中に何の用なのかとと聞くとその女は....

「飴を1文分おくんなはれ」と言う(京都なまり)

言われるまま飴を3本ちり紙に包んでやるとその女は手にしっかり握っていた一文銭をそこへ置いてその飴を取るとにっこり笑って去っていった。
その翌晩も昨日の同じ時刻になるとまた外からトントンと叩くのです開けてみるまた昨夜の女が立っていて「飴を1文分おくんなはれ」と言うので昨夜と同じように飴を3本包んでやるとまた一文銭をそこへ置いて帰っていった。
このようなことが4日5日と続いたので、いつしかこの夜中に飴を買いに来る白い着物を着た女のうわさは近所中に広まってしまった。

ちょうど一週間目になったときに、また例の女が飴を買いにやってきた。ただし今夜ははどうしたものかいかにも恥ずかしそうなようすで

「今日はお金がありませんので飴2つでいいから恵んでおくんなはれ」

というのでいつものように紙に包んでやるとさも嬉しそうに頭を下げ外へ出て行った。飴屋さんは裏口から出てそっとその女の後をつけていった。またこのようすを外の暗がりで見ていた近所の若い者も一緒にあとつけた。

女は寺町の石畳みの道を上に曲がって平林の方へ行き、光源寺の前まで来ると門の中へ入っていった。そして本堂の横の暗がりの墓の中に消えてしまったのだ。怖いもの見たさに皆が近づいて行ってみると向こうの方の柳の陰にほおずきのような火の玉がゆらゆらと漂っている。

みんなあっけにとられているとその下の方から赤ん坊の泣き声が聞こえた。みんなは腰を抜かして逃げ帰ってしまったが翌朝さっそく光源寺の和尚を訪ねて昨夜の出来事を詳しく話すと和尚はみんなを連れて本堂の横の方に行った。昨夜女が消えたところの墓を掘ってみると中から......

飴をくわえた赤ん坊が出てきたww
さすがにこれは無理があると思われ....

和尚にことのいきさつを尋ねたところ、長崎に若い彫刻師の藤原清永というものがいる。この者は全国の古い神社やお寺を回っていた末に京都にたどり着いた。鴨川の岸に宿を取って彫刻の腕を磨いているうちにそこの娘と人目を忍ぶ仲になってしまう。清永は国元から手紙が来たので長崎に帰ってみると親戚の人々に勧められてそこでお嫁さんを迎えることになってしまった。
そんなこととは露知らず京都の宿の娘は清永を頼って150里の道を長崎まで来たのだがこの始末。長旅の疲れもあってその女は病気になって死んでしまった。
哀れに思った清永は高源寺に頼み彼女を手厚く葬ったばかりのところだった。あの女は身ごもっていたのか?棺の中に入れておいた六文銭を1日ひとつずつ持って面会に来て子供に食べさせて育ててきたのか?
清永もこのことを知り改めて女の供養をして赤ん坊は自分が育てることになった。

このことがあってから1ヶ月ほどたったある夜例の飴屋さんが夜中に寝ていると枕元でしきりに起こすものがあり、見るとあの白い着物の女がまた立っている。

その女は
「この前はえらいお世話さんになりました。おかげさんで子供も助かりました。お礼にあなたの困っていることしてあげたいと思いますが何ぞおまへんか?」というので

飴屋は
「毎年夏になるといつも水が枯れて困っとる。水が欲しか」

と言いうと女は静かにうなずいて
「明日櫛が落ちてるところを掘ってみなされ」

と言い残してやがて消えてしまった。翌日飴屋が横丁を歩いていると朱色の美しい櫛がひとつ落ちていた。不思議に思ってそこを掘ってみると手の切れるような冷たい水が湧き出した。

子供は無事に大きくなり彫刻師の清永はお礼のために死んだ女の姿を作ってお寺に納めた。これが今も高源寺に残っている幽霊だと言われている。

これは今でも毎年お盆の8月16日の晩には御開帳になって一般の街の人々にも公開される。


【赤子塚に行ってみよう】
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本堂の脇の細い路地を行く
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墓地の脇をそのまま進んでいく
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ここが「赤子塚」や。ゴメン意外とショボかったm(__)m
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機会があったら年に1度の「産女の幽霊」の御開帳を見に行きたいよ