社内ニートが巡る全国旅日記

今にも会社クビになりそうな超ド底辺社畜ニートがいろんなとこ巡ってます

こんな教会初めて見た!「カトリック片瀬教会」訪問記

今日はカトリック教会マニアの中で知る人ぞ知る「カトリック片瀬教会」に行ってきた。キリスト教の教会って三角屋根の洋館に十字架が立っていて、教会内部はステンドグラスってイメージがあるけれども、この教会はこのイメージを完全に打ち破るくらいの強烈なインパクトのある純和風教会なのである。

 

カトリック片瀬教会】

  • この聖堂は1939年(昭和14)に献堂された
  • 元々は湘南の名家であった山本家(山本庄太郎氏)を移設して作られた
  • 聖堂内の側面には長谷川路可作の「十字架の道行」が掲げられている

 

ここは藤沢の江の島、駅前の喧騒からはなれ、片瀬川(別名:境川)を上流に歩いていく。河川敷は犬の散歩や釣り人などがいる

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藤沢駅から徒歩5分くらいでこのカトリック片瀬教会に到着

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狭い路地に囲まれている教会であるがきちんと駐車場もあるのだ。

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門の正面には白く近代的な建物がある。ここは昭和56年に建てられた信者会館なのだ。行った日はだれもいなかったが入らせてもらおう。

 

ちなみに真正面に見える長方形の白い板なのですが。。

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バスケットボールのゴールでしたww

(意味が不明ですが.....)

 

ここも木造の古い建物、司祭館であると思われるf:id:neet-tabi:20210901115439j:plain

 

そしてこれがカトリック片瀬教会のお御堂なのだ。木造で屋根は瓦張り一見するととてもカトリックの教会には見えないのだ。ちなみに手前の木は年末になるとクリスマスツリーになるんだよ

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「どなたでもご自由に入ってお祈りください」

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内部はこんな感じ、まさに純和風の教会だよ。祭壇の脇はなんと床の間になっていて左右にはエジプト避行と聖家族の掛け軸が掲げらえれている

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両側の壁には14枚の「十字架の道行き」絵が飾られている

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信徒さんたちの使っている、聖書や讃美歌の本が置かれている

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教会の裏にはこんなマリア像が建っている

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コロナ影響もあるがこの教会のミサは地域ごとに隔週でやっているようです。この教会の信徒さんたちが協力して毎月作っている会報「からし種」は冊子の他にCDも作っていて教会の入口に置いてありますのでぜひ見て(または聞く)ほしいです

 

 江の島まできたらぜひ立ち寄ってみて欲しい教会です(^^♪

この強烈な店構えは二度と忘れません(;^_^A 長崎の「大浦三八ラーメン」に行ってきました(^▽^)/

長崎といったら「皿うどん」、「長崎ちゃんぽん」長崎旅行中の食事ははずっとこの2つのメニューの無限ループ状態だよw さすがに人気のある名店や高級店だとそれなりのお値段がするので庶民的で安いお店を探すのがまた楽しみになっている。

 

そんな中、見つけてしまった「大浦三八ラーメン」といお店、長崎には「三八ラーメン」というチェーン店もあるがこの店もそうなのか?

 

場所は長崎市電の終着駅の「石橋」電停、長崎も5日目になると市内の土地勘も分かってきて行きたいとこに最短で行けるようになってきたのだ。

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石橋電停を下りるともう目の前にこのお店が見える。ではお見せしましょうこれが「大浦三八ラーメン」店だ!! のれんがww

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【大浦三八ラーメン】

  • 住所:〒850-0917 長崎県長崎市下町3−13
  • 電話:095-823-6698
  • 昭和の時代を思い起こさせる数少なくなってきた大衆ラーメン屋
  • 値段はほぼ底値と思われるくらい安い、味も良いので癖になる人はいるかも
  • ただしいきなり彼女とデートでここに連れていったら絶対に分かれる

 

店内の一画であるがこんな感じ、雰囲気だけでもおわかりになるであろうか。正直言って申し訳ないが汚い

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メニュはこんな感じだよ、そんなに多くない。もはや儲ける気あるんか?っていうくらい安い。いちばん高いのが700円ってw

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トイレは日本古来の金隠しがついてる和式、店内は雑誌やマンガ置いてあるが、もはや汚ねぇおやじたちにさんざん回し読みされ手あかとページがボロボロになってるものばかりで手に取るのは衛生上よくないと思われる

 

訪問したときは店員はじいさんと中年のおっさんの2人でやっていた

 

今回は皿うどんを注文、味は今まで食べてきた長崎のいろんな店のものと比べてもそん色なし。逆にうまい部類に入るのではないか?

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ちなみにここは出前もやってるみたいで岡持ちのついたバイクが停まっている

 

食事中に出前で食べた皿をビニール袋に入れて返しにきた常連客と思しき人が入ってきた

客「ゴメン! 皿割っちゃった弁償するからいくら?」

店主「いいよ! いいよ!そこ置いておいて」

 

wwww

 

この自販機の主張はいったいww

さんざん店のことdisってしまってゴメンなさいm(__)m! ただしこの店

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次の日もまた来てしまったヽ(^o^)丿

次の日はちゃんぽん注文したのw

 

 

ここがプリクラの起源といってもいいだろう「上野撮影局跡」へ行ってきたっぺ(*^-^*)

最近ではスーパーなどいろんなところに置いてあるコンビニ証明写真機、24時間いつでも顔写真が撮れる便利な設備が普及し昔ながらの写真館などはもはや絶滅のせとぎわにある。こんな日本での写真館のはじまりはこんなところにあったのである

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上野彦馬の撮影局】

  • 1862年(文久2年) 上野彦馬は新大工町の電停近くのこの地に日本初の写真館の営業を開始した
  • 上野彦馬の家系はもともと絵師であった
  • 彦馬の父・俊之丞は日本で初めて銀板写真機を輸入した
  • 父の影響からか彦馬自身もオランダ人医師ボンペやフランス人ロシェから写真撮影技術を学んだ
  • 坂本龍馬高杉晋作、グラバーなど当時長崎に居留していた有名人はみんなこの撮影局で写真を撮ってもらった
  • 彦馬は後に西南戦争の従軍カメラマンとして当時の戦場をカメラに収めている。渡部陽一にとっては神さまみたいな存在だろう

 

【当時の写真機は】

  • 箱型(湿板写真)でが使われており露光時間は約10数秒、写真館の中は体を固定するための道具が使われていた。きちんと写真を撮るためには被写体となる人のパントマイム能力も必要だったのである
  • ビードロの部屋」と呼ばれた専用のガラス張りの撮影施設ができて当時の長崎の名所となった

 

当時の箱型(湿板写真)のレプリカが作られている

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当時はガラス板に薬品を塗ってそれが乾くまでに撮影を終えなければならないというある意味、時間芸的要素があったんだよ

 

なおこんな銀塩カメラによる撮影をスマホ全盛の今でもやってくれるところがあるのだw (ある意味感動ものだよ)

 

東京の日暮里にある

「LIGHT&PLACE 湿板寫眞館」さん

lightandplace.com

 

興味あるかたはぜひとも足を運んでみて欲しい

長崎に根づく中国文化を尋ねて「孔子廟・中国歴代博物館」に行ってきたっぺ

長崎市内観光のついでに孔子廟・中国歴代博物館に行ってきたよ。ここも中学の卒業旅行で来た鮮明な記憶が残っているんよ。なんとこの施設の土地の所有権は中国政府が持っているそうだよ

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孔子廟の入口はこんな感じ、もはや20年以上もまえの面影なんてあるわけなし。今は住宅街の中にひっそりとたたずんでる感じ

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長崎孔子廟の歴史と特徴】

  • 1893年(明治26年)に当時の在日華僑と清国政府とが協力して設立
  • 原爆によって一時は破壊されたものの再び華僑によって修復され現在に至る
  • 敷地内にある博物館は中国の北京故宮博物館と提携する世界で唯一のもの
  • 変面のイベントが有名、お面が瞬時に10数枚変わる人気が高い伝統芸能

 

ここが入口、入場料660円とられたよ。ちなみにパスポートは必要ないのだ

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 まずは「大成殿」120年以上の歴史のある建物で原爆の爆風にも耐えてきた

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大成殿の前にはこのように孔子の高弟72賢人にならった石像がずらりと並んでいる。これらはすべて中国から持ってきたもので1体の重さは約1.5トンの大理石

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大成殿内にある孔子座像

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福建石獅子、設立90周年を記念し福建省から送られた

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碧水橋

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日本だと学問の神様は菅原道真であるが中国の場合は孔子なのである、ここは「合格祈願祭」もおこなわれており多くの受験生も訪れる場所なのだ

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ここが中国歴代博物館の入口、中国の国宝クラスの芸術品なんかが展示されてるんだけどこれらは中国以外ではここでしか見れないそうだよ。非常に残念ながら館内は写真撮影禁止だったよ

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コスプレするやつおるんかなw

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中国歴代博物館の1階はみやげもの屋になっている。客は俺しかいなかったので静まり返っていた

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やっぱ有名人が多く来てるみたい、でもやっぱローカルタレントが多かったよ

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中国歴代博物館の展示物は見る価値はあると思うよ。日本全国に孔子を祭ってあるとこが他にもある。足利学校(栃木県足利市)、閑谷学校(岡山県備前市)、多久聖廟(佐賀県多久市)、至聖廟(沖縄県那覇市)などがある。

飴屋の幽霊伝説マジ?「光源寺」に行ってきたっぺ('◇')ゞ 

長崎では誰も知らない人はいないと言われる「産女(うぶめ)の幽霊」または「飴屋の幽霊」で有名な「光源寺」に行ってきました。
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【光源寺の歴史】
寛永八年(1631)に長崎にやってきた高僧松吟(しょうぎん)によって寛永十四年(1637)に開山
年に一度御開帳される「産女の幽霊」は多くの人がやってくる。
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このお寺は地元の住民との交流をとても大切にしてるお寺なんよ。光源寺の「ひかり子ども会」っていうのが明治時代から続いていて読経や法話など誰でも参加できる行事が用意されているのだ。
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【子育て幽霊についての物語】
昔この街角に一軒の飴屋さんがあった。ある日の夜、外からトントントントンと叩くものがあるのでそっと扉を開けてみると白い着物を着た25歳くらいの女が一人立っている。見ると顔色は青ざめ髪を振り乱している。
こんな夜中に何の用なのかとと聞くとその女は....

「飴を1文分おくんなはれ」と言う(京都なまり)

言われるまま飴を3本ちり紙に包んでやるとその女は手にしっかり握っていた一文銭をそこへ置いてその飴を取るとにっこり笑って去っていった。
その翌晩も昨日の同じ時刻になるとまた外からトントンと叩くのです開けてみるまた昨夜の女が立っていて「飴を1文分おくんなはれ」と言うので昨夜と同じように飴を3本包んでやるとまた一文銭をそこへ置いて帰っていった。
このようなことが4日5日と続いたので、いつしかこの夜中に飴を買いに来る白い着物を着た女のうわさは近所中に広まってしまった。

ちょうど一週間目になったときに、また例の女が飴を買いにやってきた。ただし今夜ははどうしたものかいかにも恥ずかしそうなようすで

「今日はお金がありませんので飴2つでいいから恵んでおくんなはれ」

というのでいつものように紙に包んでやるとさも嬉しそうに頭を下げ外へ出て行った。飴屋さんは裏口から出てそっとその女の後をつけていった。またこのようすを外の暗がりで見ていた近所の若い者も一緒にあとつけた。

女は寺町の石畳みの道を上に曲がって平林の方へ行き、光源寺の前まで来ると門の中へ入っていった。そして本堂の横の暗がりの墓の中に消えてしまったのだ。怖いもの見たさに皆が近づいて行ってみると向こうの方の柳の陰にほおずきのような火の玉がゆらゆらと漂っている。

みんなあっけにとられているとその下の方から赤ん坊の泣き声が聞こえた。みんなは腰を抜かして逃げ帰ってしまったが翌朝さっそく光源寺の和尚を訪ねて昨夜の出来事を詳しく話すと和尚はみんなを連れて本堂の横の方に行った。昨夜女が消えたところの墓を掘ってみると中から......

飴をくわえた赤ん坊が出てきたww
さすがにこれは無理があると思われ....

和尚にことのいきさつを尋ねたところ、長崎に若い彫刻師の藤原清永というものがいる。この者は全国の古い神社やお寺を回っていた末に京都にたどり着いた。鴨川の岸に宿を取って彫刻の腕を磨いているうちにそこの娘と人目を忍ぶ仲になってしまう。清永は国元から手紙が来たので長崎に帰ってみると親戚の人々に勧められてそこでお嫁さんを迎えることになってしまった。
そんなこととは露知らず京都の宿の娘は清永を頼って150里の道を長崎まで来たのだがこの始末。長旅の疲れもあってその女は病気になって死んでしまった。
哀れに思った清永は高源寺に頼み彼女を手厚く葬ったばかりのところだった。あの女は身ごもっていたのか?棺の中に入れておいた六文銭を1日ひとつずつ持って面会に来て子供に食べさせて育ててきたのか?
清永もこのことを知り改めて女の供養をして赤ん坊は自分が育てることになった。

このことがあってから1ヶ月ほどたったある夜例の飴屋さんが夜中に寝ていると枕元でしきりに起こすものがあり、見るとあの白い着物の女がまた立っている。

その女は
「この前はえらいお世話さんになりました。おかげさんで子供も助かりました。お礼にあなたの困っていることしてあげたいと思いますが何ぞおまへんか?」というので

飴屋は
「毎年夏になるといつも水が枯れて困っとる。水が欲しか」

と言いうと女は静かにうなずいて
「明日櫛が落ちてるところを掘ってみなされ」

と言い残してやがて消えてしまった。翌日飴屋が横丁を歩いていると朱色の美しい櫛がひとつ落ちていた。不思議に思ってそこを掘ってみると手の切れるような冷たい水が湧き出した。

子供は無事に大きくなり彫刻師の清永はお礼のために死んだ女の姿を作ってお寺に納めた。これが今も高源寺に残っている幽霊だと言われている。

これは今でも毎年お盆の8月16日の晩には御開帳になって一般の街の人々にも公開される。


【赤子塚に行ってみよう】
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本堂の脇の細い路地を行く
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墓地の脇をそのまま進んでいく
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ここが「赤子塚」や。ゴメン意外とショボかったm(__)m
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機会があったら年に1度の「産女の幽霊」の御開帳を見に行きたいよ

ノンスモーカーですが(*^-^*)「たばこ栽培発祥の地」に行ってきた

長崎市内にある「たばこ栽培発祥の地」に行ってきた。長崎市電の「新中川町」で下車して春徳寺通りにある。ここは昔トードス・オス・サントス教会っていうのがあったらしい。

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【日本のたばこの歴史】

たばこは1543年の鉄砲の伝来とともにポルトガル人によって伝えられたと言われてるが

----実ははっきりしていない---

たばこの種子が日本に持ち込まれたのは遅くとも1601年ごろと思われる

 

いちおうここがたばこを最初に栽培した場所となっているが

----実はこれもはっきりしていない---

下記の3つの説が有力

  1. 平戸島
  2. 桜馬場
  3. ココ

はっきりと記録が残っているのは1606年の当時の大隈国(鹿児島県)国分の領主であった服部宗重がタバコの栽培

 

少なくとも九州から全国各地へたばこの栽培が広まっていったらしい。ただしたばこは当時は非常な貴重品な品で大名や富豪しか手に入れられなかったらしい

 

伊達政宗は大の愛煙家だった】

独眼竜で有名な東北の伊達政宗はたばこ好きで有名だったらしい。1日最低限5回はたばこを吸っていた。しかもそれは

 

健康目的w

 

その他大阪城陥落で有名な淀の方もは日本で初めてタバコを吸った女性でまた大変な愛煙家であったという説

 

江戸幕府は徹底的にNo煙政策】

全国的に普及したのは江戸時代になってからだったがここで問題

 

火事が多発!!!(*^-^*)

ご存じのとおり当時、放火はもちろんのこと火災の原因をつくった場合は理由の如何によらず重罪。江戸城内での喫煙は厳禁、ちなみに

 

歩きたばこで死刑になる人もいたらしい( ゚Д゚)

 

幕府はぜいたく禁止と火災予防のため何回も禁煙令を発した。その中には売買がバレた場合、家や財産が没収されるなんて厳しい罰則もあったそうだよ。

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もちろん火災予防も目的だったんだろうけど、当時は米よりもたばこのほうが儲かるとのことで転作する農家もあり、当時の年貢は米だったこともあり幕府の税収減を危惧するのもあったらしい

 

しかし徹底することができなかった(´;ω;`)ウゥゥ

 

江戸中期になるとたばこの値段がさらに下がり庶民も手軽に買えるようになってしまいさらに爆発的に普及、当時の記録によると....

 

ほぼ全員が喫煙ww

子どもまでが喫煙していたらしいよ

 

【日清・日露戦争でたばこ政策が劇的にかわる】

日清戦争および日露戦争になると政府はたばこに税をかけることを考えこの税収に味を占めるようになる「これって政策としておいしくねぇ?」タバコの製造販売を国営にして...

 

こんどは国が喫煙を奨励w

 

ちなみに昭和40年頃の日本人男性の喫煙率が80%超えていたらしい

現在葉たばこは国内34県で栽培されており生産量1位は熊本県

 

周りに喫煙者いるんだけどめちゃくちゃ息が臭くて近づく場合は極力呼吸を止めてるようにしているよ。もはや今では嫌煙が正義みたいになってるけど、個人的にはこのまま喫煙者が減っていって欲しい

 

長崎の四海楼・ちゃんぽんミュージアムに行ってきた!!

長崎旅行もはや5日目、私は蛭子さんのようにまったく食べるものにはこだわりがなくて旅先でのご当地グルメなんか一切食べません。しかしながらここ長崎では中学の卒業旅行で食べた皿うどんのおいしさが忘れられないこと、せっかく長崎来たんだから名物食べにゃあかんといった謎めいた強迫観念におそわれ、滞在中の食事はずっと

皿うどん→ちゃんぽん→皿うどん→ちゃんぽん→皿うどん→ちゃんぽん....の無限ループww
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さすがに昨日からお腹がゴロゴロいい始めてきたよ((;'∀')

さてやってきたのはグラバー園のとなりにあるちゃんぽんミュージアムである。長崎といったら異国あふれる情緒ある街並みがとても魅力的であり、ここにも多くの中国人が昔寄留していた。長崎ちゃんぽんというと中国発祥のような気がするがここ長崎生まれなのだ
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このでかい建物四海楼さんの2階にちゃんぽんミュージアムがあるのだ。
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ちなみに長崎ちゃんぽんはこの四海楼さんが発祥という説が有力。写真は明治32年当時の四海楼さん
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ちなみに入場料は無料
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内部はビルの一画を拝借してるのでめちゃめちゃ小さい。気合い入れなくても10分で全部見ることができるよ
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中国のテーブル、その他中国から輸入した本紫檀製の家具とかちゃんぽんと直接関係ないようなものがただでさえ狭いところに所狭しと置かれておるんよ
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山下清も愛したちゃんぽん♡
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まあよほどちゃんぽんに興味のない人以外はグラバー園行ったついでで見るような感じでしょ
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ちなみに四海楼さんは5階がレストランになってるんだけど行った時間は閉まってました。