富山市を見渡す小高い丘の上にある「長慶寺」というお寺ここには石工が50年を費やして作ったという羅鑑像があるとのことでやってまいりました
まだ朝早くに乗り込んできたのでまだ誰もおらんわ
参道の脇道から眺める景色、大量の墓があって檀家さんからの寄付金も相当な額になるだろうね
駐車場から先の道はここの寺の関係者以外は車で入って来ることはできないのだよ
このお寺の本尊は「桜谷大仏」と呼ばれる大仏だったらしいんだけど1870年(明治3年)頃の仏教寺院などを破棄し僧や寺が受けていた特権を廃する「廃仏毀釈」の際に富山藩の命令で失われ、現在は仏頭が残るのみ
釈迦の人生が描かれている絵、タイの寺院に掲げられているものとほとんど同じだね
桜谷大仏の頭部だけがここの本尊に置かれていると聞いていたがこれがそうなのかな
この寺院は天明6年(1786)の開山。
この寺の裏には五百羅漢と呼ばれる石仏が置かている。
江戸時代の後期に富山の回船問屋の豪商であった黒牧屋善次郎の元50年間にわたって佐渡の石工に535体の石仏を彫らせ、北前船で運んできた。
石仏の奉納者は全国各地から名前を連ねる。もちろん富山の豪商が多いが中には松前(北海道)・越後(新潟)・佐渡・能登・加賀・江戸・飛騨高山・尾張・京都・摂州(大阪)・伯耆(鳥取)・紀州(和歌山)・薩摩(鹿児島)の人の名もあるそうだ
また廻船商人だけでなく仏門者、武士、女性の名もある。みんな航海無事の祈願、海難事故で命を落とした者への哀悼、そして自らの行いに対する懺悔。石仏の奉納にはいろんな人の願いや思いが込められているんだよ
この五百羅漢の像は一体一体すべてその姿勢や表情が異なっていて同じものはないといわれている
石仏にはこういったカラフルなたすきが掛けられていてここに祈願に来る人の願いが書かれている
五百羅漢とはよく聞くけど釈迦の死後に聖典の編纂に集まった五百人の弟子のことを言うらしい
このような五百羅漢に関する史跡は全国のいたるところに存在するが日本三大五百羅漢と呼ばれているものがあり下記のとおりである
前述のとおりこの石仏は佐渡の椿尾というところの石工が作成したらしいが、この椿尾という場所は石工の村として昔から有名だったらしい
江戸時代、作られた仏像ですから、顔がすっかり変わってしまっている
境内の五百羅漢は、素晴らしい緑の中にありこのように一体一体の間には石燈籠が作られている
いちばん上はこのように休憩するところがあるのだよ
ここからの展望は最高だった、地元では隠れた夜景スポットとなっているらしい
もはや顔の表情すらわからないくらい風化してしまっている石仏もある
石の風化の要因はいろいろあるけど塩結晶化破壊というのがもっとも大きさらしい
いちおうここ長慶寺の五百羅漢は昭和二年に大修復おこなっているらしい
ちなみに階段を登りきって先は何があるのかと思って登っていったが道路となっていた
夜に来たらめちゃくちゃ怖いと思う
ということで長慶寺の五百羅漢に訪問して良かったのだが...
またもや蚊にしこたま食われた(TдT)