次にやってきたのは東莱邑城じゃぁ!! それにしても東莱地区って坂が多くて移動が大変だよ。
豊臣秀吉による有名な朝鮮出兵(文禄の役)で20万人近い日本軍が1592年に釜山港へ上陸、朝鮮軍はほとんど抵抗することなくちりじりになって逃げ回ったらしい。難なく釜山港を手中に入れた日本軍の次なる目標は15kmはなれたところにあるここ東莱邑城でなのだ
日本軍は釜山港へ上陸した次の日の朝にはこの城を包囲してたっていうからほとんど無抵抗だったことは容易に想像できる。
城を守るのは李氏朝鮮軍の宋象賢、攻める日本軍は第一軍団長の小西行長
階段を登っていってやっと城門に到着や。
日本軍は包囲した東莱城を攻める前に城内の朝鮮軍に降伏勧告「戰則戰矣 不戰則假道」(戦いを望むなら戦い、望まぬなら道をあけろ)
それに対して宋象賢率いる朝鮮軍は「戰死易 假道難」(戦って死ぬことは容易いが、道を開けることは難しい)
かっこええやんw
そして巳の刻(9時~11時)に日本軍の総攻撃が開始される。そしてあっという間に陥落。城が落ちるまでにかかった時間はなんと。。
2時間w
まぁ10時間もちこたえたって説もあるみたいだけどそれにしても早すぎ
城門では家族親子連れで記念撮影や
小西隊が城内になだれ込んで朝鮮軍守備隊は壊滅しました。朝鮮軍は装備も貧弱で訓練もほとんどされていなかったらしい。城が陥落すると宋象賢は自決でこの戦はあっという間に終わる
城門の前はこんな公園になっておるよ
ここは蒋英実(チャン・ヨンシル)って朝鮮時代の最高の科学者の業績をたたえて作られた公園なのだ
その有名な先生が考案した物とは。。
日時計なのだww (その他天文機器諸々)
そして測雨器
測雨器は世宗王朝時代に始めて考案されたらしいよw
城壁に沿って歩いていくべ。李氏朝鮮時代の城の特徴っ城壁はある町や地域全体を囲むように作られてるんだって。そういえば水原華城もそんな感じだったな
写真じゃわかりにくいけどこれ急坂やで。。写真に写ってる爺さんが後ろから登ってくるんだけど倒れやしないかと思ったわ
スマホの万歩計アプリをチェックすると朝から15km歩いとる。
そして山の頂上へやっと到着じゃ。北将台(パクチャンデ)
ここからプサン市内が一望できるのだ
そして向こうに見えるのは? ひょっとして
2人の愛を誓うニダw
おそらく夜はここからの夜景がきれいなんでしょうけど、ここまで徒歩で登ってこれる気合いの入ったカップルはさぞやうまくやっていけると思うよw
韓国の城と聞いて日本の大阪城や名古屋城みたいなものを想像してはいけません。ただの城壁が延々と続いているだけです。