釜山近代歴史館にやってきました。途中で地下鉄降りる駅を間違えてしまって5つも手前の駅で降りてしまった。乗りなおせばよかったものを何を血迷ったのか徒歩で来ることに。。7㎞も歩いてしまった
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この建物は日本の植民地時代の1929年、韓国の経済を支援するために作られた「東洋拓殖株式会社」のプサン支店の建物なんよ。それを2003年に歴史館ということでオープンした建物なのだ
この建物は日本の植民地時代の資料なんかがしこたま展示されていて非常に見ごたえのある場所やった。
1910年の日韓併合で朝鮮は日本の植民地になった。今思うとこれだけ反日で発狂する民族って知ってたら併合しなきゃよかったよってご先祖様に言いたいわ( ノД`)
それでも当時の日本は韓国を併合しなきゃならん理由があったんよね。キーとなる国はロシアじゃ。当時の帝政ロシアは樺太から朝鮮半島にいたるまで南下政策を押し進めていてこのままだと朝鮮半島もロシアの手に落ちるのは時間の問題だった
さらに面倒くさいのが中国(清)の存在や。当時の清は朝鮮半島を属国としており当然ながらこのまま属国として支配したい清と独立させたい日本との間で主導権争いがおこったんよ
ここで清と日本は「天津条約」を結んで朝鮮半島の取り決めについて一応の決着がついたのですが。。
1894年に朝鮮で東学党の乱が発生!!
残念なことに当時の朝鮮には反乱を鎮める力はなく日本に出兵を要請します。
(赤字部分は韓国政府の突っ込みどころですw)
日本軍はソウルを進軍しあっという間に乱を鎮圧。新政府を作って朝鮮を独立させます。
館内にはこんな植民地時代の日本の店なんかがリアルに(等身大だけどね)再現
黙ってないのは当時の清で
負け組となった中国と朝鮮ですが今度はロシアに近づきます。
日本はロシアと以下のような取り決めをおこなった。日本はロシアに対し大連と旅順の租借を認めその代わりに朝鮮は日本がいただきます
義和団事件が起こり日本の発言力が強まると、ロシアは満州を日本は朝鮮をいただくと取り決めがなされる
今思うと。。
逆ならよかった(´;ω;`)ウゥゥ
まぁ当時は朝鮮のほうが日本本土に近かったからそれは考えられない選択肢だったけどね
もはや日本やね↓ ノスタルジーあふれる街並みだけどここは韓国なんよ
朝鮮王の高宗は1897年に独立を宣言。。でもなんの力もない当時の朝鮮にとっては大国の手の上で踊らされてる存在でしかありませんでした。日本にとっては
はぁ~?
って感じ。もはや当時の朝鮮は対ロシア戦のための重要拠点という位置づけだった
当時のロシアは世界最強の国力を持っている日本にとってはどんなことをしても衝突したくない相手でした。戦争だけはなんとか避けたいと外交努力を重ねたものの残念ながら1905年に日露戦争勃発。結果はご存じのとおり日本の
辛勝
ポーツマス条約により朝鮮は正式に日本の植民地となりました。
1910年 日韓併合
韓国皇帝が統帥権を日本国天皇に移譲。つまり今までは日本の植民地だったものが完全に日本になるということ。韓国を近代化するために日本は莫大な経費を負担
当時の日本はなんとしてでも朝鮮にはロシアの防波堤になってもらわなければならなかったんよ
もちろん日本が韓国を併合している間は韓国国内で何度も武装蜂起がおこったらしいんだけど悲しい民族の性かな同じ朝鮮民族が反乱を起こした朝鮮民族を鎮圧してました
まぁ当時の時勢でやむをえないことがあったとはいえご先祖さまに言いたいことは
朝鮮の人間の粘着指数を少しでも考えてほしかった(´;ω;`)ウゥゥ
ここが撮影スポットやで。。ここでずっとスマホの充電させてもらってたわw
日韓併合は太平洋戦争終結までこの後35年続きましたがその間に学校や病院や鉄道、上下水道、発電所、植林などさまざまなインフラの増強に力を入れました
恨まれるために
当時の新聞や。おもろくて食い入るように読んでしまった
旅館もあって当時もクーポンあったんやね ワロタw
当時の東菜の温泉観光案内や
鉄道路と時刻表や これは価値あるで
当時の日本のお金。日本の属国だからもちろん日本の貨幣が使えていたのだ
当時の株券
国民栄養食の作り方
第三期営業報告書
釜山商工会議所月報 まさに日本や
当時のプサンにあった消防署署員の名簿
最後に日本語のパンフレットもらって帰ってきました
やぁぁマジでここ見ごたえあったねぇ