社内ニートが巡る全国旅日記

今にも会社クビになりそうな超ド底辺社畜ニートがいろんなとこ巡ってます

長崎の西洋文化をぎゅっと集めた!「グラバー園」に行ってきたっぺ(*^-^*)

長崎でいちばんの観光地はどこ?と聞かれたらおそらくハウステンボス大浦天主堂と次に挙がるのがグラバー園というくらい有名な観光地、日本最古の木造洋風建築で中学の卒業旅行でもここを訪れているがもはや当時の記憶なんてまったくないのだ

 

ということで行ってみることにした

 

ここがグラバー園の入口、大浦天主堂のとなりなのだ。今日は月曜日の午前中ということもありさすがのグラバー園も人はほとんどいなかった

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ここからずっと登っていくことになる。階段とエスカレーターのセットになっている。このエスカレーターは1988年(昭和63)に設置されたので中学のころに来たときはこの階段を延々登っていったのだ

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グラバー園の入場料は一般大人が620円、けっこう安いがハンパな料金設定だよ。

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ここも連絡先カード書かされた。もう長崎のいろんなとこで何回こんなものを書かされたことか....長崎という異国の地で俺の個人情報がどんどん広がっていくんだよ

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入場してからまたこんな非常に長いエスカレーター日本で初めて道路として認められた「別名:動く歩道グラバースカイロード」で延々頂上をめざす

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グラバー園とは】

 

登りつめるといちばん高いところに「旧三菱第2ドックハウス」という建物がある。ここは当時船が修理などのために停泊している間に船員たちが宿泊・休憩する施設として、三菱重工業長崎造船所が建てた施設

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ここに着いたときはちょうど朝の10:30だった。あと30分で園内ガイドツアーがはじまる。この看板のまえでガイドツアーのおじさんがずっと立ってたんだけど

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時間になっても誰も来ねぇww

 

 

まぁ今日は観光客もまばらで俺以外に4~5組の家族連れしかいなかったから仕方がないか。このガイドのおっちゃんが観光客つかまえては「よろしかったら案内しますよ♪」ってっ逆に声かけとったよw

 

旧三菱第2ドックハウスの中はこんな感じ。昔の西洋の帆船の模型とかが展示されてたんですけど、長崎のいろんなとこで散々見たような内容なので

 

「もうおなかいっぱいっす!!」

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洋館の中庭はこんな感じ。大きい池があって鯉がいっぱい泳いでいる。ちなみに鯉のエサは鯉ガチャで買えるようになっていてしかもおみくじまで付いているのだ

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ここから見る長崎の港は最高だったよ、グラバー園は期間限定だが夜間開放もしている。たぶん長崎市民にとって最高のデートスポットだと思う

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カメラのズームをMaxにすると自衛隊イージス艦が停泊している。海上自衛隊の基地って佐世保じゃなかったか?って思ったが長崎港には三菱長崎造船所があって自衛隊の艦船の修理や点検基地となっていりそうなんだよ

 

手前はおそらくこんごう級で後ろが新型艦じゃね?

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高島流和砲、高島秋帆っていう兵学者の指導によって鉄砲鍛冶の野川清造が製造した大砲

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中庭でさっきのガイドツアーのおっちゃんが寂しそうに一人でうろうろしとったよw

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歴史の泉

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旧長崎高商表門衛所、これは長崎高等商業学校(現長崎大学経済学部)の表門衛所で1905年に建てられたもの。1976年にここに移築された

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旧ウォーカー住宅、「R. N. ウォーカー商会」を設立したロバート・ネール・ウォーカーの次男の旧邸で大正4年に購入し昭和33年までこの建物で暮らしていた

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【旧ウォーカー住宅】

  • ここはイギリス人船長だったロバート・ネール・ウォーカーの次男、ロバート・ウォーカー・ジュニアの住宅
  • ロバート・ネール・ウォーカー(以下、ウォーカー)は長崎でR・N・ウォーカー商会を設立
  • 清涼飲料工場を開業してサイダーを大量に生産。その製品名に「バンザイ」と名付けて販売を始める
  • ウォーカーの兄、ウィルソン・ウォーカーがグラバーとともに横浜でジャパン・ブルワリ・カンパニーを設立、この会社は現在のキリンビールの前身
  • 「旧ウォーカー住宅」は昔は大浦天主堂の近くに建てられていたものを1974年(昭和49)にこの地に移築された。移設されたものは本来の敷地の3割程度だった

 

ウォーカー氏が使っていた遺品などが展示されていた

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長崎地方裁判所長官舎

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祈りの泉

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だれもおらんかった

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次にやってきたのは「旧リンガー住宅」ホーム・リンガー商会を設立したイギリス人フレデリック・リンガー氏の旧邸

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【旧リンガー(弟)住宅】

  • 本名:フレデリック・リンガー氏の旧邸
  • 1864年(元治元)頃に長崎に来訪
  • 1868年(明治元)グラバー商会に勤め、ホーム・リンガー商会を設立したイギリス人
  • 製茶業、製粉、石油備蓄、発電、貿易事業などいろいろな事業を手掛ける
  • 明治元年にリンガー氏の住宅はグラバーから譲渡された借地権をもとに建てられたとみられる
  • フレデリック・リンガーが1907年に死去した後は次男のシドニー・アーサー・リンガーがここに住んだ
  • リンガー氏の建てた「ナガサキ・ホテル」世界に誇る一流のホテルだった
  • 1942年(昭和17)の太平洋戦争勃発とともにリンガー一家は母国に帰国、住宅の所有権は川南造船所となった
  • 太平洋戦争も終わりリンガー家はこの住宅に戻る
  • 1965年(昭和40) 当住宅は長崎市の所有となる
  • 1966年(昭和41)  6月11日、国の重要文化財に指定される
  • 1973年(昭和48) 老朽化した住宅の補修工事が終了、現在に至る

 

旧リンガー住宅の内部

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応接室

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園内を歩いているとこんな看板が立っていた

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見上げると数十年に1度しか開花しないという「リュウゼツラン」という中南米原産の多肉植物、なんかめちゃくちゃラッキーな気分になった

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この家族連れと一緒に旧オルト住宅に向かう

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ここが旧オルト邸、ウィリアム・オルト氏が昔住んでいた住居

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旧オルト住宅

  • 本名:ウィリアム・オルトの邸宅
  • 開国と同時に長崎にわたりオルト商会を設立、製茶業で日本のお茶を海外に広めた
  • なぜか当時の土佐藩と親交が深くオルト商会から土佐藩に数多くの船や武器を売却している
  • 大浦天主堂を設計した小山秀之進が建築したといわれている
  • 庭の噴水は日本最古といわれており当時のヨーロッパの建築家と日本人の職人さんがまったく言葉が通じない中での協働作業で建てられたと言われている
  • でも実際にオルト氏がこの邸宅に住んでいたのはたったの3年間
  • その後この建物は活水女学校の校舎や米国領事館として使われた
  • 1903年(明治36)にはおとなりのフレデリック・リンガーによって購入され、リンガー氏の長男一家がここで生活をした
  • フレデリック・リンガー氏の長男一家が太平洋戦争勃発まで住んでいたので、リンガー(兄)邸とも言われている
  • 1972年(昭和47)5月15日に国の重要文化財に指定された

 

マジでメルヘンすぎるやん

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旧オルト住宅の応接室

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ここが寝室だよ

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次に旧スチイル記念学校

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ここは華やかな西洋のドレスを着て撮影してもらえるサービスがある

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ここで衣装を借りることができる大人用から子供まで、女性用は40種類以上、借りたドレスで園内を散策することもできるのだ

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旧自由亭、実際にレストランも営業している

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【旧自由亭】

  • 江戸時代末期日の本初の西洋料理レストラン、元々は良林亭(りょうりんてい)という名前で、シェフである草野丈吉が自宅で開業したのは始まり
  • 1865年(慶応元)に自由亭という名前に改称
  • 当時の長崎には小島郷福屋、西浜町清洋亭と呼ばれる三大西洋料理店があり自由亭もその中の一つ、当時の貴賓や地元高官などに人気があった
  • 昭和49年に長崎市内からグラバー園内に移築復元されている
  • 現在の「旧自由亭」は、2階が実際に喫茶室になっている
  • 24時間かけて水で一滴ずつ抽出された薫り高い濃厚なダッチコーヒーが有名

 

 

最後に本丸の旧グラバー邸ですが.....

 

 

工事中だったウワァァ-----。゚(゚´Д`゚)゚。-----ン!!!!

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グラバー園気合い入れてまわったら確実に半日コースだよ

今度は夜に来てみたい