社内ニートが巡る全国旅日記

今にも会社クビになりそうな超ド底辺社畜ニートがいろんなとこ巡ってます

禁教下での外海のキリシタンの指導者の隠れ家「バスチャン屋敷跡」へ行ってきたっぺ(^▽^)/

半年前の長崎旅行で大野教会に行ったついでに是非とも寄ってみたかったのが「バスチャン屋敷跡」だよ。1kmくらい離れているがなんとか行けるんじゃないかと思ったが途中で挫折したところ。ここはずっと徒歩でしかいけないものかと思っていたのだが実は車でも行けるのだった

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ただしここへ行く場合の道程は覚悟しておくべし!!

 

 

めちゃくちゃ細い農道をひたすら登っていくのである。何度も引き返そうかと思ったよ

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 【そもそもバスチャンとはだれなのか?】

  • 禁教下において「バスチャン」という名で洗礼を受けた日本人伝道者
  • 本名は当時の平山郷に住んでいた「治兵衛」という名であったらしい
  • バスチャンは「ジワン」という神父の弟子であった 
  • 「バスチャンの日繰り」と呼ばれる教会暦を用いた。これはキリストの生涯におけるイベント記した典礼
  • 外海地方の神父がすべて追放されたあとに潜伏キリシタンたちを指導した
  • バスチャンはその間潜伏先を転々としここもその隠れ家のひとつといわれている
  • 出津住民の告発により、牧野の山中で捕らえられて長崎市内の西坂にて殉教

 

 

バスチャン屋敷前のまで到着、もちろん駐車場なんてないから細い農道の路肩に無理やり停めるのだ

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ここからまた徒歩で山の中へ入っていく

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道はなんとか舗装されているので歩きやすい。そもそも隠れ家なんだからアクセスが大変なのも当たり前か

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携帯の電波も届きましぇん(´;ω;`)ウゥゥ

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やっと見えてきたで「バスチャン屋敷跡」

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バスチャンは当時、信者に対して4つの予言をおこなって励まし続けたのだ

 

  1. 信者を7代までは自分の子とするがそれ以降の祝福は困難となる
  2. コンヘソーロという告悔を聞く司祭が大きな黒船に乗って来る
  3. 讃美歌をどこででも大声で歌えるようになる
  4. 道で異教徒にで出会ったときは相手が道を譲るようになる

 

 

うっそうと木々が立ちこめる山の中、隠匿生活をするには最適な場所だったのかもしれない

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この屋敷跡はいつごろ建てられたのかはわからなかったけど、さすがに新築感は否めなかったよ

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脇には小川が流れている。地元の人なのか?信者さんなのか?いつもここにきて掃除してるみたい

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【バスチャン椿伝説】

バスチャンが住んでいた三重村の山中に1本の椿の木があったそうだがバスチャンがその木に十字架をなぞるとその木の幹の部分だけがはっきりと浮き上がったそうだよ。

その後信徒たちはその椿を聖木として礼拝するようになる

キリスト教の迫害がさらに激しさを増し、この椿が切られるといううわさが立つと出津の信徒はこの木をみずから切り倒し幹の部分は海に流し残りの部分は各自家に持ち帰って大切に保管した

家族で亡くなった人がでると保管していたこの木片を削り死者とともに葬った

 

残念ながら扉は固く閉じられ中に入ることはできなかった。窓から内部をのぞくと物置みたいな感じになっておったよ

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【バスチャンの殉教後】

バスチャンが役人に補足されたときに彼の最後の願いとして自分が身につけていたものを出津の「重次」という者に届けてもらうように頼んだ。

 

役人が頼まれた包みを開けてみるとキリストの十字架像が出てきたそうだよ。途中落としてしまって片腕が欠けてしまったらしいがその十字架は今でも隠れキリシタンたちの間で大切に保管されている