平戸藩を支えた松浦家の第3代藩主「松浦隆信の墓」へ行ってきたっぺ
平戸ザビエル記念教会のあとすぐそばにある 「松浦隆信の墓」に行ってきた。平戸を治めていた松浦家は最盛期にはとりあえず6万石近くまでいったんだよ。隆信は第28代藩主松浦久信の長男で母親はキリシタン大名大村純忠の娘ソノ( 松東院 )
墓自体はいちおう平戸市正宗寺の所有地となっている
先にも書いたけど母親がキリシタンだったんだけど例の江戸幕府の禁教令により棄教している。父である久信が死んで12歳で家督を継いだ
信長の野望はいくつもシリーズやりこんできてるのでいちおう戦国大名の名前って全部把握してるんだけど、スマン 松浦隆信は....
雑魚扱いでした( ;∀;)
天翔記の場合だと....
- 知性:やや上
- 政才:かなりいい
- 戦闘力:中の中
- 魅力:中の中
- 野望:やや上
松浦家はただでさえ石高が少ない上にものすごく突出した能力持った家臣もいないからオートモードでやったら周囲の竜造寺家、大内家、大友家、島津家に瞬殺されてしまうんよね
祖父の鎮信はオランダなどとの南蛮貿易でかなり領土内を経済的に潤していたが隆信の場合はそれを良いことに貿易拡大路線に走り結果的に大損を被る
バカ殿という不名誉な呼び名がつけられたw
墓の入口から平戸ザビエル記念教会が見える
松浦家の居城は言わずと知れた平戸城、たった6万石そこそこの大名がなぜあんなすげげえ城持てたんだろう?
まずはよく出てくる「石高」という言葉でその領地の経済力を示す指標になってるが、1石は「大人1人が1年間に消費する米の量」と定義されるらしい。1日の米消費量を約400gとすると 0.4kg×365=約150kg
では1石の米の量を現在の価格に換算すると1石=約7万円と言われている。松浦家の6万石は今の価値だとだいたい36億円と換算できる
ただしこの当時の米の価格って非常に算出するのが難しくまた金山や銀山なんか持ってるとまた別の要素がプラスされるので単純に石高で経済力測るの難しい
松浦隆信の墓とまったく関係ないこと書いてしまったがこれが松浦隆信の墓
ちなみに当時城を持てる基準というのはだいたい3万石が基準だったそうだよ
隆信は1599年に平戸城の築城を開始するが完成をみることなく同年3月に平戸勝尾山の自邸にて死去(享年72)
以上平戸を治めていた領主の墓でした