のぼうの城で有名な忍城へ行ってきたっぺ
たまたま埼玉県に行く機会があったので行田市というところへ行ってきました。この行田市っていうのは昔大ヒットした映画「のぼうの城」の舞台になった忍城があるところなんよね。
ちなみに埼玉県の高崎線沿線って大宮の次は熊谷って認識で途中にどんな駅があるかもあまり気にしたことがないくらい存在感がなかったです
ここの城主は成田長親って人なんだけど信長の野望でも戦闘力、防御力、知謀すべてが低い値なのでたいした武将という認識はなかったんよ
やっと忍城に到着や。やっぱ埼玉の行田は遠いよ
行田市郷土博物館に入ろうとしたら入場料はとられるものの館内撮影は禁止ですって言われたので入館はあきらめたわ
城をぐるっと回ってきたんだけど意外と小さい。城のまわりを徒歩でぐるりと回るだけではここがなぜ難攻不落の城だったっか実感はできないわ
のぼうの城って映画は私の大好きな野村萬斎が主演の映画でもう5回以上は見てるかもしれない
この城は沼地に作られていたことである意味それが天然の要害となっていて石田三成や真田昌幸の攻撃にも持ちこたえたそうだよ。今じゃそんな面影どこにも残ってないけどね
っていうか石田三成いなかったら攻め落とせてたんじゃねぇ?
今ではこんな浅い堀しか残っていないよ、
堀の周囲では水鉄砲大会やっとったわ
日本三大水攻めと言えば
数多くある城の攻防戦において水攻めは上記の3つしかない。もちろんその前提として水攻めができる地理的条件がないとそもそも意味がないんだろうけど、しかもやったのは全部豊臣秀吉じゃ。
やはり水攻めは
金と時間がかかりすぎる
- まず周囲を大軍で囲い込まなければならない
- 次に巨大で長大な堤防工事をおこなわなければならない
- 近くの湖や河川から水を引き込んでこなければならない
- そもそもこれらの工事をすすめている間に敵軍や援軍が攻めてこないというのが前提
このお城を水攻めにするために石田三成が築いた堤防の長さ
28km
堤防の高さ2.3m
しかもこれだけの堤防を1週間で作り上げたというからにわかには信じられない
そこまでの大工事をやってもこの城を落とせなかった理由は。。
城だけが水没しなかったw
しかも途中で堤防が決壊して石田軍の多数の死傷者が出たということや
これって城を落とすということよりも秀吉はこれだけの財力がある(だから抵抗してもムダ)ということをこの地域の人に知らしめるためにやったのかも