青森県の新郷村にあるキリストの墓に行ってきたっぺ(#^.^#)
すごい昔の話なんだけど「実はキリストは日本で死んだ!!」という伝説を追って青森県の新郷村を取材するテレビ番組があったのを思い出した。
たしか自分が小学校の低学年だったと思うんだけど、子供ながら
「んなわけねぇだろぉwww」
ってテレビの前で突っ込んでいた記憶がある
青森の八戸まで来たということで思い切ってこの新郷村へ行ってきました。この新郷村って「ド」がいくつつくねんっていうくらいの田舎でした。田んぼを貫く町道をひたすら走ること2時間近く
やっと「キリストの墓」(の伝説がある場所)へ到着や。大雨やったんだけど奇跡的に到着したころは雨がやんでくれた
なぜここでキリストが死んだ伝説があるのかというのを調べてみると以下のとおりじゃ
- この地域に伝わる旧家の家紋の形状が六芒星に似ている
- 子供が生まれたときに赤ん坊を初めて外に出すときおでこに十字を切る
- 同様に足が疲れたときはおでこに十字を切る
- 父親をアヤ(アダ)と呼び、母親をアバ(ガガ)と呼ぶ (聖書に出てくる聖書に出てくる「アダム」「イブ」がに発音が近い
- 新郷村は以前は戸来村と呼ばれていてその名前がヘブライと重なる
そして新郷村で亡くなったキリストの伝説は以下のとおりじゃ
- ユダヤで生まれたイエス・キリストは21歳の時に日本に来た
- 日本で神についての勉強をした後に故郷のイスラエルに帰って布教を試みた
- その教えは当時のユダヤ人に受け入れてもらえずキリストは十字架に磔りつけになりそうになる
- 実際十字架に磔りつけになったのはキリストではなくその弟のイスキリである
- 難を逃れたキリストは再び日本にきてこの戸来村で100歳まで生きてここで死んだ
ちなみに没するまでにここ日本で3人の娘を授かったそうだよ
もはや韓国人ですら真っ青なくらいの歴史捏造やんw
もはや真面目に突っ込むことすらアホくさいのですが。。
キリストが生まれたのは紀元前20~30年って言われていてそのころの日本は弥生時代のド真ん中や。そもそも日本最古の歴史書である古事記ですらその700年後や
そもそもキリスト教の伝来は1549年でさらに1000年後や。。
こんなゆるい坂を登っていくと。。
キリストの墓に到着。。初感想は。。ちっちぇ~
しかも墓は2つあるということもはじめて知った。。
さらに調べていくとキリストの墓伝説には「竹内文書」っていう密書がキーになってるらしいんよね。当時の天津教の教祖だった竹内巨麿(1874〜1965)っていう人がこの地を訪れてたまたま草木におおわれたこの塚を発見!!
「ここキリストの墓でいいっすよね」
っていうことでここがキリストの墓の伝説になったらしいおww
ちなみにこの村の人だれ一人、ここでキリストが亡くなったなんて信じていないのだw
どうもこれといった産業のないこの村にとって観光客目当ての村おこしとして利害が一致したらしいんよね
キリストの里伝承館というのがとなりに建てられている。2004年にエルサレム市から友好の証として石碑が新郷村に寄贈されている。これって本来ならば
毎年この墓のまわりでキリスト祭というものが催されていて「ナニャドヤラー ナニャドナサレノ ナニャドラヤー」という掛け声で墓の周りをグルグルまわるらしい。でもこの地の人の認識としてこの祭りはあくまで
「盆踊り」ww
ちなみにこの村の名産として清酒「キリストの里」、「ナニャドヤラワイン」、「キリストラーメン」、「キリストおでん」、「ジーザスひっつみ」など枚挙にいとまがない
もうアホくさくなってきたわw