社内ニートが巡る全国旅日記

今にも会社クビになりそうな超ド底辺社畜ニートがいろんなとこ巡ってます

2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

島原・天草一向一揆の激戦の地「原城跡」に行ってきたっぺ

島原・天草一向一揆の舞台となった原城跡へやっとたどり着いた。ここは島原半島のほぼ先端付近、南島原市にあってめちゃくちゃ遠かった。 原城跡内を車でずっと走っていったんだがどこも閉鎖されていて停めるとこがないやん なくて少し離れたここに車を停め…

島原城下にある「武家屋敷」に行ってきたっぺ(*^-^*)

島原城内に車を停めて徒歩でやってきたぜ「武家屋敷跡」島原城下、知行4万石で当時の城主はキリシタンにとってまさにサタンの申し子的存在であった恐怖の松倉重信。 重信による島原城築城の際はその周囲に70石以下の武士たちの住居が作られたのだ。当時ここ…

郡崩れで処刑されたキリシタンたちの「獄門所跡」へ行ってきた 

先ほど「首塚跡」→「胴塚跡」と巡ってきて最後にやってきたのは「獄門所跡」だよ。この「獄門所跡」は今からおよそ400年前、禁教下において長崎に潜伏していたキリシタンが一斉摘発(郡崩れ)され、その時に切り落とされたキリシタンたちの首が20日間さらされ…

郡崩れで処刑されたキリシタンたちの「胴塚跡」へ行ってきた

先ほど「首塚跡」に行ってきたので今度は「胴塚跡」にやってきた。「首塚跡」と「胴塚跡」は500mくらいしか離れていない。この「胴塚跡」は今からおよそ400年前、禁教下において長崎に潜伏していたキリシタンが一斉摘発(郡崩れ)され首を切り落とされたキリシ…

郡崩れで処刑されたキリシタンたちの「首塚跡」へ行ってきた

今からおよそ400年前、禁教下において長崎に潜伏していたキリシタンが一斉摘発された。この処刑されたキリシタンたちの首が埋められたとされる「首塚跡」に行ってきた 【郡崩れによるキリシタン処刑の経緯】 1657年(明暦3年) 長崎の郡村における潜伏キリシタ…

原城跡に行く前に必ずここで予習しておくべし「有馬キリシタン博物館」へ行ってきたっぺ(*^-^*)

有馬キリシタン遺産記念館に行ってきた。ここは島原の遺産、特にキリスト教の伝来から繁栄の時代を示す日野江城跡と島原・天草一揆の舞台となった原城の歴史をガイダンスする記念館なんよ。 まずはアクセスなんだけど公共交通機関で来館するのはかなりしんど…

平戸でいちばん気にいった教会かもしれん「木ヶ津カトリック教会」に行ってみたっぺ(*^-^*)

平戸島のほぼ中央部、紐差カトリック教会から車で約40分ほど飛ばして到着したのがこの木ヶ津カトリック教会だよ。この教会もすさまじいくらいの僻地に存在している 県道60号(獅子津吉線)をを下りるとすぐに見えてきた!木ヶ津カトリック教会 駐車場と言える…

平戸の東尋坊と言っていい「塩俵の断崖」に行ってきたっぺ

生月島の「塩俵の断崖」へ行ってきた。この生月島の西側の海岸線は高さ20mで南北500mに広がる玄武岩の断崖が連なっているんだよ。1000~600万年前の海底の火山活動で隆起した岩が波で削られて誕生したものらしい。このすばらしい景観は長崎県新観光百選にも…

潜伏キリシタンがカモフラージュで祭った「枯松神社」へ行ってきたっぺ(^▽^)/

ずっと行きたいと思っていた枯松神社についに行ってくることができました 実はここ徒歩でしかこれないところだとずっと思っていた。昨年大野教会に来たときについでに行こうと思ってたところだったんだけど徒歩で行くにはあまりにも遠いと思い泣く泣く断念し…

この悲惨な記憶はぜったい忘れるべからず「土石流被災家屋保存公園」に行ってきたっぺ

年配のかたなら記憶に残っているだろう1991年5月に雲仙普賢岳の噴火と火砕流によって43人もの尊い犠牲者を出した自然災害。今回は当時の被災家屋がそのまま残されている「土石流被災家屋保存公園」に行ってきた。 本日訪問したところは「土石流被災家屋保存…

壊滅的だった外海地区ド・ロ神父の経済復興の切り札「大平作業所」に行ってきたっぺ(^▽^)/

明治12年(1879年)に日本の外海地区に赴任してきたド・ロ神父。ところがこの当時の住民の貧しいこと筆舌に尽くしがたいほどだったとのこと。ド・ロ神父はキリスト教の布教もさることながら住民たちが経済的に自立し豊かになることに全力を注いだのだ 私財をす…

禁教下での外海のキリシタンの指導者の隠れ家「バスチャン屋敷跡」へ行ってきたっぺ(^▽^)/

半年前の長崎旅行で大野教会に行ったついでに是非とも寄ってみたかったのが「バスチャン屋敷跡」だよ。1kmくらい離れているがなんとか行けるんじゃないかと思ったが途中で挫折したところ。ここはずっと徒歩でしかいけないものかと思っていたのだが実は車でも…