1300年の歴史がある奈良の世界遺産「薬師寺」へ行ってきたっぺ(#^.^#)
今日は朝から奈良市西ノ京町にある「薬師寺」に来ています。ここの最寄りの駅は近鉄の「西ノ京」駅なのだ。ここから薬師寺は歩いてすぐだよ
1998年に世界遺産となったお寺で元は飛鳥の藤原京に造営されたものを平城遷都後に現在の西ノ京に移転された、世界遺産ではあるもののコロナ下にあって参拝客はまばらだったよ
入場料を買う。薬師寺はいったん入場券を買えば当日は何度でも出入り自由なのである
しかしながらこの入場料がなんと
1,100円( ゚Д゚)
薬師寺は1951年(昭和26)に国宝に指定された。現在は9件の国宝と26件の重要文化財が納められている
金堂
この薬師寺金堂にはたとえ僧侶であっても誰でも入れるわけではなかったそうだよ。室町時代に台風で破壊されて修理をしたものの1528年の享禄の兵火によって全焼
後に増田長盛により仮金堂が建てられた。1968年(昭和43)から始まった薬師寺復興作業に寄って仮金堂は解体され1976年(昭和51)に現在の金堂が再建
やはり世界遺産で国宝となるとどこも撮影禁止でもはや建物外観しか撮れないようになっている。金堂の内部ももちろん撮影禁止だよ、外から内部を拝見するとこのような仏像が安置されている
東塔
先述のとおり薬師寺は創建以来何度も風水害や火災で焼失している。ただしこの東塔は薬師寺は1300年の歴史のなかで創建当初から唯一現存したもので平城京最古の建造物と言われている
内部は三層になっておっていて明治時代にここを訪れたアーネスト・フェノロサはこの塔を「凍れる音楽」と評した。 東塔は2009年(平成21)より創建から初めて全面解体修理に着手、令和3年2月15日竣工した
ここから東塔の1階部分の内部を見ることができる。この後ろでは係員がいて常時監視しているのだよ
東院堂
養老(717~724)に元明天皇の冥福を祈り建立された。現在の建物は1285年(弘安8)に再建されたもの
西塔
西塔は東塔と違い金堂と同じく1528年の享禄の兵火により1回焼失している。1981年(昭和56)に再建されている。
西塔は東塔より140センチメートル高く作られている。これは経年変化により木が縮んで200年後くらいには東塔と同じ高さになることをあらかじめ計算されて作られている
大講堂
僧侶が集まって仏教についての講義を受けたとされる建物。ここも享禄の兵火によって焼失し、損の時にここの内部に安置されていた阿弥陀三尊繍仏も焼けてしまった。1852年(嘉永5)に復興されたものの当時のもとはかなり小さいお堂となった。
2003年(平成15)に創建当時のものと同じ建物として再建された
とにかくここは商魂がたくましい。しかも世界遺産かつ国宝がたくさんあるという「ブランド」があるため御朱印、おみくじ、お守りが他よりかなり強気なお値段で売られている
ここは全国にある他の寺と違って檀家が存在しない寺なのである。したがって拝観料や寄付などによって運営をまかなっているようだ。世界遺産に登録されたとしてもユネスコから受領できる維持のための費用は貧しい国に限られているので、日本の場合は援助はないそうだよ
不動堂
食堂
写真左側の金堂で右が食堂と呼ばれる建物だ、もちろんここは僧侶たちが食事をする場所、金堂より大きい40m以上の建物からここにいた僧侶がいかに多かったかうかがえる
薬師寺は敷地が2つに分かれている。もう一つの場所に行くにはいったんゲートからでなければならないんだよ
めざすはお写経道場と玄奘三蔵院伽藍だ
写経場についた。写経はここの寺の貴重な収入源となっている。ここの写経は昭和43年よりおこなわれており、ここで書かれたお経は永代供養されるとのこと
前述のとおり薬師寺の歴史は建物の復興の歴史でもある。特に歴史的建造物となると復旧、維持管理にめちゃくちゃ費用がかかるんだよ。昭和30年頃になると徐々に修学旅行客などが増えてきたもののまだ復旧工事にかかれるほどの資金は集められることはできなかった。
当時の住職は写経によって復興費用を賄うことを決定、目標金額は10億円だったそうだ。お写経のための費用は1人1,000円(現在は2,000円)
そして昭和50年ついにお写経の数が100万巻となり念願の10億円を達成、金堂の復旧工事に充てらることになった。その後も写経の事業は続けられれ現在ではなんと....
900万巻近くになっている( ゚Д゚)
寺の経営というのは永代供養ということで何世代にもわたってお寺を支えてくれる檀家をどれくらい抱えてるかでほぼ決まるそうだよ。
日本の坊さんといったらベンツと言われるほどバブル期は羽振りが良かったが現在では檀家の減少で廃寺となるところも少なくないそうだ( ;∀;)
ちなみ薬師寺の現在はどうなっているかというと....
-------以下 2018年の週刊新潮の記事---------
世界遺産に登録されている奈良の薬師寺のトップである村上太胤管主(71)が、「女性との不適切な関係で辞任しました」と、司会の真矢ミキが週刊新潮(5月24日号)の記事を紹介した。
記事によると、村上管主は44歳の銀座のクラブホステスと3年前から関係を深め、京都・大阪を案内したときに「一線を越えた」という。講話のために月1回ほど上京する時は、銀座の店で7万円から8万円を使った後、関係を持ったという。
週刊新潮の取材に、ホステスは「一線を越えたのは31回」と話し、数えていたのも凄いが、村上管主は「酔っていた」「認識が甘かった」と語っている。
-------以上 2018年の週刊新潮の記事---------
旦那~w 儲けてまんがな(#^^#)
ちなみにこの記事には続きがあって...💕
村上氏はおととし(2016年)に管主に就任、著書では「不邪淫」を解き、「夫として妻として子として守るべき戒がある」と述べていた結婚して妻がいる。薬師寺は記者会見を開き、村上管主からおととい15日に辞任の申し出あったことを明らかにした。
(*^▽^*)
煩悩も金といっしょに吹き飛ばそうw
ここのお写経場のモットーであるが、いつでも・どこでも・だれでも... 金さえ払ってくれればできるのだよ
いつでも:事前申し込みなどいりません
どこでも:ご自宅でも可能です(郵送可能)
だれでも:宗派、宗教は一切問いません
玄奘三蔵院伽藍
次にやってきたとこは玄奘三蔵院伽藍というところだ、ここは玄奘三蔵という僧侶を祀った建物、1991年(平成3)に建立された
ここにも寺の警備員がいたけど、聞いてもいないのに「写真撮ってもいいっすよ!」とうことだった。歴史的な建物でない場合はどうでもよいのだろう
国宝であり世界遺産でもある薬師寺、昔はアン・ルイスや桑名正博などの著名人たちもここで結婚式を挙げた。そして最近ではAKB48や堂本剛、玉置浩二、小林幸子、さだまさしなどの.....
コンサートも頻繁におこなわれている(;´∀`)
復興とか奉納とかいう言葉をつければ何でもありの状態になってる。果たしてここはいったい何のための施設なんだろう? (。´・ω・)?
全国屈指の心霊スポット「白高大神」に行ってきたっぺ:;(∩´﹏`∩);:
ここは奈良県の奈良市のはずれにある白高大神(しらたかおおかみ)と呼ばれる超絶恐ろしい(と噂されている)心霊スポットだよ。心霊やオカルト系は正直苦手なのであるが好奇心に勝てず行ってみることにした
まず白高大神へのアクセスであるが...
狭い農道を進まなければならないので自家用車で行く場合は覚悟が必要!
このような1台分がやっと通れるくらいの道幅しかないのだ。しかも両脇は田んぼと側溝となっている
右下に見えるように田んぼや畑の周囲には電線がはりめぐらされている。夜間は電流が流されるようだ。ここもイノシシなどの被害が深刻なのだろうか
ここが白高大神の入り口だよ、もはや入口から異様な雰囲気が漂っている。
となりには完全に崩れはててしまった民家。どんな人が住んでいたのだろうか?
不気味な鳥居をくぐって進んでいくと池がある。入口に会員制の池と書いてあって誰でも釣りができるわけではないようだ。よくもこんなとこで釣りなんかする気になるな
2つめの鳥居が見えた、ここは夜間に肝試しに訪れる人が跡を絶たないらしいんだよ
人の侵入を防ぐかと思われるくらいの歩道だ。引き返そうかと何度も心が折れかかった
そしてここにも廃墟、心霊スポットでは珍しく「○○参上」なる落書きがまったくなかった
絶望的なほど心が折れる。ちなみに心霊系ユーチューバーが真夜中にここを訪れたときの動画とかアップロードしてるけど...
こいつらの脳内が理解できん(*_*)
(おれなら確実に発狂するわ)
不気味な鳥居の連続アーチ(;^_^A
教親社という祠があった。何のために?何を祀って作ったのかはもはや知るよしもない
お供えものが置かれていた。とにかく誰かが来てお供え物をしていることがうかがえる
さらに進んで行くと渓流と合流した遠くから滝の音が聞こえてくるぞ
いちおうここが終着点だろうか、滝と小さな洞窟があったんだよ
ここは元は新興宗教である「玉姫教会」の修行の場ということで開かれたそうだよ。中井シゲノさんというかたが代表で当時は多くの信者さんたちがいた。
洞窟の中はこんな感じになっていた。目が見えなくなった人が治ったと言い伝えがある観音菩薩
中井シゲノ師は1903年(明治36)に地元の寒村で生まれる。おばが巫女であった影響もあって子供のころから修行を受けていた。19歳で結婚、1男1女の母となるものの22歳の時に事故で失明してしまう
そこから滝行によるさらなる修行が始まった。それがこの場所であったのかどうかはわからない。シゲノは1991年に89歳で他界する
その他ここには防空壕なるものもあるようだがとてもじゃないが行く気にならん
小心者の私はここから猛ダッシュで引き返したのだw
この神社が閉鎖されたのは廃神社になったのは、平成3年ということでそんなに過去のことではない。鳥居も1983年に作られている
ここの心霊現象はおおよそ「少女が霊に取り憑かれて発狂した」、「幽霊に追いかけられた」、「訪問した後に事故にあった」など心霊現象あるあるのオンパレード
とにかく面白半分で来てはぜったいに行けません☡
日本最大の自動車博物館と言ってよいか「トヨタ博物館」に行ってきたっぺ(*^-^*)
はるばるやって来たのは愛知県の長久手にある「トヨタ博物館」だ。たしか5年前もここを訪問したことがあったが閉館間際ということもあって泣く泣く退散したところなんだよ
敷地面積, 46,700m²(約14,000坪)というとんでもないほどの広さを誇る博物館なんだよ
ここでチケットを買う、もちろんチケットカウンターで購入することも可能
入場料はなんと
大人が1000円( ゚Д゚)なんだよ!
なんでこんなに高額なのかは入館したときはわからなかった
入り口入ってドカンと置かれているのはトヨタのAA型と呼ばれている自動車で残念ながらレプリカとのこと。アメリカの車を参考にしてトヨタが作った初の乗用車
そしてこのエスカレータで上の階に登っていくと。。。
クラッシックカーのコーナー、すさまじい数の往年の名車が展示されている。ちなみに私は今日までトヨタ博物館はトヨタの車しか展示されていないとずっと思い込んでいたのであったw
そして、こともあろうに私は何百台(予想)と展示されているこれら1台1台の車を真正面、真横、後部と写真を撮っていったのであった(;^ω^)
家に帰って撮影した枚数を確認したらなんと......
681枚(〃▽〃)ポッ
全部載せて紹介するのはさすがに酷なのでピックアップしてお届けします
っていきなり三輪車かいw
ドデオプートンと呼ばれている自転車を改造して小型エンジンを取り付けた三輪自動車、ヨーロッパではもっともポピュラーな自動車で1903年間で製造された
それでは量が多すぎるので現在の世界各国の大手メーカーのクラッシックカーから1台ずつピックアップして紹介していこう
まずはアメリカの
シボレー
ライバルのフォードの傑作車モデルTに対抗してシボレーが制作したシリーズ490
この490というのは発売予定価格だった490ドルからネーミングされている
次はアメリカの
フォード
モデルAと呼ばれているものでT型の後継機にあたる
引き続きアメ車
キャディラック
モデルサーティと呼ばれるもの。当時のエンジンスターターは手回し式であったが初めてセルフスターティングモーターを搭載した自動車
ちなみにエンジンスターターは手回し式って何?って人に説明、古い映画なんかでよく出てくるシーンで昔の車は下のようなクランクを手で回してエンジンを始動していたのだよ
そして当時のクラッシックカーあるあるなのですが当時のタイヤの幅は....
この程度しかなかったのだw
そしてドイツ
ベンツ14/30HP
そしてロールスロイス
シルバーゴースト、ロールスロイス最大の傑作と言われてる車両、無類の信頼性を発揮したテスト車両が銀色で幽霊のように静かに走ったことから命名されている
そしてフランス
ペペ、プジョーは昔から大衆向けの小型自動車を制作してきた。これは2人乗り
そして
ブガッティ
タイプ35Bと呼ばれる量産型レーシングカーだよ、これって昔やってた某車番組のオープニングで登場してなかった?
ベントレー4/12リットル
1920年代にルマンを席巻していたときのマシン
そして
SSジャガー100 車名の100は最高時速100マイルからとったもの
6C 1750グランスポルト スーパーチャージャー付6気筒DOHC ミッレニアをはじめ数々のレースで有名を馳せた
500トッポリーノの愛称で知られた500ccの小型車
11B 前輪駆動を採用した世界初の自動車、グリルのエンブレムからシトロエンとすぐにわかる
そしてフォルクスワーゲン
ビートル キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
と思いきやこれはkdfワーゲンと呼ばれているビートルの原形となるものでポルシェ博士によって設計された展示車両はなんとkdfワーゲンの中でももっとも古いものだそうだ
そしてアメ車に戻って
ゼファシリーズHB 水冷V型12気筒
全長5メートル以上、デカい! デカすぎる!
ランチァ
ストゥーラティーポ233C スーパーカーブーム以降あんまり聞かなくなったメーカーだがこの頃から高級スポーツカーメーカーとしての地位は確立されていた
パッカード
全長5.7メートルで排気量はなんと7,756cc (;^ω^)
第32代ルーズベルト大統領の専用車で防弾ガラスと装甲車並みのボディを有している
ずっと外国車ばかり紹介してきたのでここからは国産車を紹介したい。もはやクラッシクカーというより子供のころ見た懐かしい車といった感じになってます
クラウンRS クラウンの初代モデル、昔はこんなスタイルだったのだ。
ヒルマンミンクス PH300
英国のルーツ社と技術提携をおこない製造された1964年までの11年間で67,720台が生産された
日野
PA62型
日野は昔は乗用車も作っていたのだ。フランスのルノーから技術提携を受けて作られた
スバル
名車360キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
スバル最初の生産型乗用車この小型ボディーに大人4名乗車って拷問でしょw
登場から10年にわたって軽自動車部門トップだった
三菱
500 A11型
初代ファミリア
残念ながらファミリアはすでにマツダのラインナップから消滅している
プリンス
グロリアスーパー6 41型
プリンス自動車の車って初めて見たから感動したよ、
サニー B10型
サニーもすでに日産のラインナップから落ちている。トヨタのカローラのライバルとして長年販売を競りあってきた車種
そして初代カローラ キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! KE10型サラリーマンのマイカー時代の幕開けをもたらした日本が世界に誇る名車
スズキ
フロンテ360 LC10型
この自動車のセールス文句
「大人が4人乗れて100km/hで走れる軽自動車」(;^_^A
ホンダ
またまた名車N360 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
ここらへんの時代になると子供のころ見た覚えが出てくる。販売2か月目にして2か月目にしてライバルのスバルを抜いてベストセラーとなった
めちゃくちゃかっこええ!!!( ゚Д゚)
SP310型 当時はブルーバードのシャーシにセドリックの1500ccのエンジンを載せていた第一回日本グランプリで栄えある初優勝した車だよ
コンパーノスパイダーF40K型
ダイハツは昔はこんな車も作っていたんやね、最高速はなんと145km/hだったそうだよ
そしてトヨタ2000GT キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
買ったら億という値が付くスポーツカー、ヤマハの協力を受けて当時のトヨタが持てる限りの技術を投入して作ったグランツーリスモ。発売前の高速耐久試験で3つの世界記録と13の国際記録を樹立した
この車のデザイナー外国人ではなくて当時のトヨタ自動車の野崎さんという人であるが、まさに天才という言葉を惜しみなく与えようではないか....
ちなみにトヨタ博物館には2000GTが入り口にもう一台置かれているのですが..
おまえ本当にスゴイやつだな(#^.^#)
そしてこれもマツダの名車 コスモスポーツ!! 日本初のロータリーエンジン搭載車、「帰ってきたウルトラマン」にも登場したかっこいい車だ
ダルマセリカ!! 今見てもめちゃくちゃかっこいい
いすず117クーペ
中古車市場でギリ拝見できる車か? イタリアのジウジアローによってデザインされた
初代ソアラ キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
子供のころの憧れの車だ、大人になったら絶対に買おうと心に決めていた車、たまたまかもしれないけれど来場者の人だかりがいちばん多かった
元祖86レビン 白と黒じゃないのが残念、今現在もなお人気ですな
中里ぉぉーーーーーーーーーお!!!!
今買おうとしたら新車価格より高いかも
なお館内のおねえさんが言うには、ここの博物館に展示されているすべての自動車は
「動態保存されている( ゚Д゚)」
こりゃ入館料1000円でも安いわw
あとはラリーで活躍した名車たちが展示されている
あとはおみやげコーナーや車関連のグッズなんかが展示されてたりと車好きならたまらない至福の時間を過ごすことができること間違いなし!
今日は本当にここに来れてよかったw
岩国が誇る日本を代表する木造橋「錦帯橋」に行ってきたっぺ(。・ω・。)ノ♡
岩国にやって来て最初の訪問地である岩国城訪問が失意のうちにできなくなったことで次に向かうは「錦帯橋」に向かうことにする。ちなみに錦帯橋に行く前に「岩国シロヘビの館」に寄ってから行くことにした
岩国シロヘビの館のすぐとなりに「吉香 鵜の里」っていうのがある。鵜飼いで有名なのは岐阜の長良川であるがここ錦帯橋も鵜飼で有名なのだよ
個人的に鵜飼の芸って動物虐待に限りなく近くね?と疑問に思っているんだよ
このような自己主張の強すぎる木がある道を歩いていくんだよ
そして「錦帯橋」と初のご対面なのだよ!(^^)!
錦帯橋の入場券を買う。個人往復310円ちなみに錦帯橋、ロープウエイ往復、岩国城入場のセット券もあって個人970円
錦帯橋は長さが193m、幅は5メートル、橋台の高さは6.6メートル。往復しても5分もかからないのだ
すべてが板張りになっていて維持費も年間相当な金額になっているそうだよ
錦帯橋は遠くから見るのと違ってかなりの急こう配となっている
欄干も木製でとても低くやっと腰上くらいなんだよ、間違ってもふざけて押したりしたら...
即死間違いないのだよ:;(∩´﹏`∩);:
ちなみにここは飲食の持ち込みはとても厳しい
なんでこんなに飲食の持ち込みが厳しいのかと入場券販売所のおねえさんに聞いたら
「え~っと..ソフトクリームなどの橋の上に垂れた場合、痛めてしまうので...」
なる回答だったよ
でも犬は入れていいんかいw
ここも時期によっては夜間のライトアップがあるらしいんだよ
今回は岩国城のロープウェイ乗り場に車を停めたが本来はここの河川敷が駐車スペースになっている。これだけ広ければ満車御礼は出ないんじゃないかな
地元のおっちゃんがなんかカードを見せて橋を通行していく。地元の人は専用のフリーパスのようなものがあるみたいだ
夜間もは料金所の係員がいなくなるようで入場料は志納ということになっているらしい
ところで錦帯橋といって忘れられない事件は昨年末に起こった。それは
「底辺中年オヤジによるバイクでの暴走事件w」
-----以下当時の新聞記事を引用(但し個人名は伏せてます)-----
山口県岩国市にある国の名勝「錦帯橋(きんたいきょう)」にバイクで侵入し、橋を傷つけたとして、県警は21日、岩国市南岩国町2丁目、建設作業員○○○○容疑者(40)を文化財保護法違反の疑いで逮捕し、発表した。容疑を認めているという
岩国署によると、船橋容疑者は17日午後6時40分ごろ、錦帯橋を400ccのバイクで走行し、橋板の広範囲にタイヤ痕を付けるなどして名勝を傷つけた疑いがある。
錦帯橋は5連アーチの木造橋で知られる。岩国市によると、550枚の橋板のうち、322枚にタイヤ痕があった。錦帯橋はバイクや自転車の乗り入れは禁止されている。
署が橋周辺の防犯カメラを調べるなどしていたところ、20日午後1時ごろに○○容疑者が1人で署に出頭した。「錦帯橋をバイクで走り、傷つけたことに間違いありません。申し訳ないことをして反省しています」と話しているという
----- 引用終了 -----
当時の記事の写真には生々しいタイヤ痕がついておったよ、防犯カメラまで付けてんのになんの意味があるんだよ
1998年(平成10年)にもここを軽トラックで渡った3人の猛者がおったらしく('◇')ゞ
橋についた傷を修復するのに約220万円の費用がかかった(´;ω;`)ウゥゥ
【錦帯橋】
- 1673年(延宝元)に岩国3代領主の吉川広嘉(きっかわひろよし)によって建造、ただしその後何度も洪水によって橋は流される
- 1674年(延宝2) 橋は再建されその後1950年(昭和25)に台風29号(キジア台風)によって流失するまでの276年間原形を維持する
- 1953年(昭和28) 再度架け替えられる
- 2002年(平成14) 補強工事を兼ねた橋の架け替え工事が行われる
毎年4月29日、「錦帯橋まつり」という盛大な祭りがおこなわれる。当時の参勤交代や大名行列などが行われる
錦帯橋の風物詩は夏におこなわれる鵜飼い。当時の岩国藩主の吉川家のころからすでにおこなわれていた記録がある。ここから遊覧船に乗って観光できるそうだよ
錦帯橋とその下を流れる錦川とは川の氾濫と橋の補強の追いかけっこの歴史がある。昨年も川の増水で橋げたまで全部冠水するくらいのピンチだった
もう夕方の5時を過ぎてしまった。辺りが暗くなってきたのでこれで岩国観光は終了とする
岩国といったら白ヘビ伝説「岩国白ヘビの館」へ行ってきたっぺ(*^-^*)
長崎旅行の帰りではあるものの途中で山口県内を通ることになったので本日はできるだけ山口県内のいろんなとこ寄っていこうということで最終目的地になったのは岩国市である。いままで関東から九州までを何度も行き来しているが山口県はすべて。。
素通りでした(;^_^A
(ゴメン!山口って自分にとって典型的な空気県でしたm(__)m)
まずは岩国のシンボルといったら岩国城でしょ!ということで中国地方でも屈指の山城である岩国の城を攻城を開始することにする。
山頂までは徒歩で行くことも可能であるが数時間コースとなってしまうのでここはロープウェイでワープすることにする。ちなみにロープウェイ乗り場の左側は広大な駐車場となっている
ところが..........
そんなぁぁことあっていい? (ノД`)・゜・。
またのお越しをって( ゚Д゚)
しかたがないのでロープウェイのりばのとなりにあった「岩国白ヘビの館」に行くことにする。正直ヘビは大嫌いなのですが資料館ということで入ってみた
自販機で入場券を購入する。高校生以上200円、中学生まで100円(2021年末現在)
このフラッパーゲートから入っていく。ここの施設はとても小さいのでその気になれば30分程度で見てまわることが可能だよ
入場するとすぐに岩国の白ヘビ伝説の上映コーナーがある
白ヘビ伝説の内容を要約すると下記のとおりである
岸根
岸根村の固屋垣内というところでは梅雨になると岩の上にヘビが現れた。毎年かわることがないこの白ヘビを村の人々は梅雨座衛門と呼んだ
六呂師
六呂師の田んぼの中に大きな岩があった。梅雨になるころ岩の裂け目から2匹の小さい白いヘビが現れた。毎年姿かたちが同じでもし岩から出ないときには早く出てくるように村の人々は岩に向かって願った
祖生
祖生の中村というところに大きな岩があった。梅雨になると岩の裂け目からヘビが現れた。もしいたずらで岩の裂け目に木や竹を入れると大風、大雨にあると言われた
横山
岩国城のふもとに千石原(せんごくはら)の御門のところに一匹の白ヘビが現れた。門番に捕らえられお城の医師たちに漢方薬にされ保管された
今津
今津にはお役人が住む宿舎があった。その西にあった米蔵で2匹の白ヘビが住みついた。米を食い荒らすネズミを餌にする白ヘビは守り神として大切にされた
江戸時代の人といっしょに写真を撮ろうのコーナーこれは今津の蔵で住みついた白ヘビを発見したときのシーンかな
ヘビの骨格の模型だよ、非常にキモイ。ちなみに白ヘビって生まれたときはオレンジ色をしているようだ
そしてこれがヘビ皮だよ、脱皮したヘビの皮みるだけでも耐えられない
白ヘビってなぜか岩国にしかおらんそうだよ、白ヘビは突然変異で生まれるらしく目立つことから他の動物に狙われやすく生き残るのは難しいそうだよ
本物のヘビもおるんかい(-_-;)
恐る恐る近寄ってみると、白ヘビおった
ラブちゃんいうんかい(。・ω・。)ノ♡
ラブちゃんの名前の由来は頭部にあるハートマークだそうだよ
ラブちゃん以外にも数匹の白ヘビおったけど、かなりキモいのでもうブログに写真を掲載するのはやめよう
その他、クイズコーナーとかあった
2018年に秋篠宮同妃両殿下もきたらしい
以上が岩国白ヘビの館の紹介でした、ヘビアレルギーの私にとってはかなりつらい訪問となった。白ヘビは別の場所で繁殖がおこなわれているそうで、岩国にはここ以外にも白ヘビを祀った白蛇神社とかもあるそうだよ
こんな広大な日本庭園見たことない( ゚Д゚) 防府市の「毛利氏庭園」に行ってきたっぺ!
山口県の防府市にある毛利氏庭園にやってきたよ。山口・広島の戦国大名である毛利家の子孫である毛利元昭が明治36年に作った巨大な庭園と屋敷だ。ちなみに防府天満宮から車で10分くらいで来れる場所なのだよ
駐車場に着いたんだけどここも年末でガラガラな状態だった
博物館というのもあるらしいが今日は休館日だそう。引き返そうかと思ったけど山口県なんてそうも来る機会がないので行ってみることにした
まずは
駐車場から庭園入口までの道がすばらしい
両側の松並木がなんとも言えない。入り口に至るところから手を抜かないところがさすがに名門毛利家といった感じだよ
そしてここが庭園入口の表門、城門のような堅牢な作りになっている
門をくぐるとまたもやこのような素晴らしい風景が広がっている。路傍庭園となっていて両脇にはつつじが植えられていて春はピンク色のきれいな回廊となる
毛利氏庭園の広さは約84,000m2で東京ドーム約1.8個分、金沢の兼六園が約114,000m2なので広さ的にもそん色ないくらい大きい庭園だ
ここが博物館らしい。次回のオープンは年越し後なのだ
毛利博物館・毛利氏庭園の開館時間と入館料は下記のとおり
ここ中雀門(ちゅうじゃくもん)から内庭に入ることができる
今回は毛利氏庭園にだけ入園する。本日は園内に係員がだれもいないのでここに400円の入園料金を入れてから入るのだ
ここには面積7,934m2の広大な瓢箪池(ひょうたんいけ)がある回遊式の庭園となっているんだよ。
ここの庭園のみどころは特に
3月下旬~4月上旬:日本庭園内の桜の見どころ
5月中旬~6月上旬:表門から本邸に向かう道筋のさつきが見どころ
【毛利氏庭園】
- 当時の明治新政府は全国の藩主に東京への在住を命じる。こののち国許居住が許可されると毛利氏も自国の領内に邸宅を建設することになる
- 長州藩士であった井上馨によって標高225mの多々良山のふもとに邸宅建設を決定
- 1916年(大正5年)旧毛利邸が竣工
- 1996年(平成8) 毛利氏庭園は国指定名勝となる
- 2011年(平成23年)に国の重要文化財に指定される
とにかく日本庭園は維持費がかかるんだよって実家の庭師さんにいわれたことある。これだけの広い庭園を維持できる当時の毛利家の財力は相当なものだっただろう
幕末のデータであるが当時の長州藩は200万石相当の財力があったらしい某NHKのドラマでも「長州には唸るほどカネがある」という高杉晋作の名セリフがあったよね
紅葉の時期や晴れの日の新緑の時期であればもっと美しく見えたでしょうね
ちなみに防府天満宮や毛利氏庭園などの観光資源を持っている防府市ですが積極的に観光客の誘致活動をおこなっている。
毛利庭園の良さをアピールするための観光大使庭ガール」・「庭男子」なるものを募集して育成講座を実施しているそうだよw
合格祈願の神さまが祀られている?「防府天満宮」に行ってきたっぺ(。・ω・。)ノ♡
やってきました山口県の防府市、そして防府といったら絶対にはずせない観光スポットは「防府天満宮」なのだ。北野天満宮、大宰府天満宮と並び日本三大天満宮の一つと言われている。
ちなみに天満宮とは日本で数ある神社の中でも菅原道真の霊(天満天神)を祀ってあるところを特別に「天満宮」と呼ぶのだ。お寺に○○宗とあるように神社にも祀られている神さまによっていろいろな系統があるのだよ、まあ最近は明確な区別はなくなってきてるけど。。
八幡
ご利益:勝負運・金運
神:勝負の神様
稲荷
ご利益:商売繁盛
神:農業の神様
天満宮・天神
ご利益:学業成就
神:学業の神様
防府天満宮の駐車場に到着、けっこうな人がすでに来ていた。
扶桑管廟(ふそうかんびょう)最初の碑という大きい石碑が置かれている。「扶桑」とは日本のことで管廟とは菅原道真を祀る神社のこと。
つまり「日本で最初に創建された天満宮」
クリスマスもおわり境内では初詣の準備が急ピッチでおこなわれていたよ
例年、初詣の参拝者数は45万人。県内は断トツのトップであるが中国・四国地方ではこれでもトップ10にギリギリ入れるかくらいのもの
菅原道真が生まれ育ち活躍した京の都に創建されたお宮
菅原道真が左遷されて失意のうちに亡くなった場所のお宮
菅原道真が宮中での権力争いで失脚し、九州の大宰府に流されていく道筋での宿泊地(防府)に創建されたお宮
そして最近流行ってるアマビエ、熊本地方では「アマビエさま」と呼ばれていて江戸時代に今後6年の豊作と疫病の流行を予言したとされる妖怪なのだ
人魚のようなウロコと長い髪、そして鳥のようなくちばしをもつ不気味な妖怪だよ。コロナの全国的な広がりであっという間に有名になった
すでにお守りや破魔矢を買いに来てる人がけっこういたよ。防府天満宮のお守りは種類が多い。とくにここの人形感謝祭は全国でもトップクラスの規模なのだよ
金魚おみくじ
菅原道真のゆかりの地ということで地元の書道愛好家が昭和51年に建てた塚。この後「筆まつり」というのが毎年おこなわれていて古筆のお焚き上げがおこなわれている
ここが春風楼(しゅんぷうろう)と呼ばれている建物。最初は五重塔を建てようとしたもののうまくいかず、現在のものが建てられた。塔を建てようとした時の木材は今も床下に使用されている
お食事とお土産処「紅梅殿」さすがに大きい神社ともなると境内にお食事処もあるんだよ。営業時間は10時~15時、定休日は不定となっている
お守りはなどは郵送でも受け付けているらしいのでネットで予約・購入できるそうなので受験生をお持ちのご家庭は購入されてはいかがでしょうか?